天の神様の言う通り
泣いたのは
 「ん、風月……ちゃん?」
 冴子は、眠気眼で風月を呼んだ。布団の中を手探りするも、一緒に眠っていたはずの風月がいない。
 冴子は、目を擦りながら立ち上がると、部屋の障子を開いた。
 開くと同時に、生暖かい風が髪を揺らす。ねっとりと湿度を含んだような風だった。
 「嵐の前みたい……」
 冴子は髪を耳にかけながら、眉をひそめた。どこか不安を煽る風。
 風月の姿は、すぐ目の前にあった。
 「どうかしたの?」
 冴子は控えめに声をかけた。しかし、返事はない。
 可愛らしい三角形の猫耳が、まるで飾りかのように無反応だった。欄干に両手をつき、視線は一心に天へと注がれていた。凝視していると言っていい。険しい顔つき。
 いつもはおっとりした子だ。
 ただならぬ事態……冴子は、直感的にそう思った。
 妨げになっては、と言葉を掛けることを止め、代わりに風月の視線の先を見る。
 いつもと変わらぬ黒い空。そして満月。
 ギィィ
 その時、静寂を破るように開門の音が響いた。何かが屋敷内部に侵入したのだ。
 風月は、先程の無反応が嘘のようにぴくっと耳をそちらへ向け、門へと走り出す。
 「わ、ちょっ!」
 てっきり、冴子の存在に気づいていないのだと思っていた。ふいに手を掴まれ、つんのめりつつも続く。
 冴子が知る限り、この屋敷唯一の門。
 大人の二倍以上の高さがある観音開きの朱色の門に、冴子が近づいたのは始めてのことだった。
 その門を背にするように花鳥が立っていた。
 冴子は驚いた。
 花鳥の服は所々破れ、右瞼から流血していたのだ。
 しかし、そんなことは、花鳥自身も風月も気にしてなどいない。
 「慶は!?」
 風月は、張り詰めた声で問う。
 「あっちで頑張ってるよ」
 花鳥はふうと、息を吐き、すでに閉ざされた門に寄り掛かる。
 「じゃあ。なんで一人で戻ってきたの!?」
 「それが命令だし……それに、すぐ戻るからね」
 花鳥は、流血を袖で雑に拭った。しかし、拭ったそばから血は流れ、右目はずっと閉じたままだった。
 見かねた冴子は慶の時同様、袖を引き裂くと、花鳥へ歩みよりその瞼にあてた。
 花鳥は、伸びてきた手にびくりと瞬間驚き、冴子の心配気な目に出会うと微かに笑んだ。
 「あのさ、例の子……なんでか、目指してるんだよね」
 花鳥は、冴子にありがとうと言いつつ、裂いた袖を受け取ると、自身で押さえながら言った。
 「目指す?」
 立場的に話に入るつもりはなかったが、間近で聞いていた冴子は、つい尋ねた。
 「ここ」
 花鳥は押さえた方とは逆の手で地面を指差した。
 「反らそう反らそうってするんだけど、なぜか反れないんだよね」
 反らす反らさないとは何のことか。冴子にわかったのは、反らすべき何かが近づいてきているらしいこと。
 「なんで? ここが悟られるなんて……」
 理解できないとばかりに、風月が呟く。
 「僕らにもわからないけど、慶が怪我した後くらいから、ただ暴れてたのが、目標があるみたいな動きに変わって……近づいてきてる。もうこれは認めざる得ないって情況なんだよね。しかも、このままじゃ、侵入される」
 花鳥は常の軽い口調で言っているが、醸し出す空気はピリピリしている。臨戦態勢といった様子。
 「警告したから。もう行くよ」
 花鳥は言うが早いか、人一人通れる程度だけ開門する。
 「風月、わかってるよね。冴ちゃんと離れるなよ。慶からの念押し」
 言うと、花鳥はその身を門の向こう側へと踊らせた。
 ギィィ
 門は音を響かせ、花鳥を飲み込んだ。
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