天の神様の言う通り
運命の相手
夢を見ていた。
お囃子に、仮面の人々。豪奢な牛車。
それにあの男。顔も名前もわからなかったが、思い返せば腹の立つ男だった。
どうしてあんな突飛な夢を見たのか。
父さんが死んで、情緒不安定だったせいだろうか。
そもそも父さんが死んだのは、現実?
……あれも夢なのかもしれない。
そうなら、いい。
ひどく縁起の悪い夢だけど。
そうなら……。
冴子は、長いまつ毛を振るわせ、瞼を開いた。
天井が見える。
『あれ? やけに高い?』
目を擦りつつぼんやりと思い、その理由に思い当たると、サーと血の気が引いた。
跳ね起きる。
薄布で囲われた寝台。手に触れるこのふんわか包み込むような触り心地のよい感触。いつもの煎餅布団と、全然違う。
冴子は文字通り頭を抱えた。
昨夜の記憶を手繰り寄せる。
あの後、面の家来達が冴子に殺到し、何か嗅がされた。すると、意識が遠退いて……。
「誘拐だ」
間違いない。
冴子は周囲を見渡す。人の気配はない。
寝台から起きだし、薄布をかき分けた。床の軋みにびくつきながら、そろりそろりと移動する。
広い部屋だ。
閉じられた引き戸も大きい。腕に力をこめたが、思いの外、滑らかに動いた。大きく開いた戸を慌てて自身が出れる程に戻した。
左右を確認し、外へ出る。
「ここ、どこ?」
冴子は知らなかったが、廊下から望むのは枯山水の庭。しかも、これまた広大な。
白い砂が波状を描き、陽光を反射させる。植えられた松や紅葉の緑や赤が、白い砂の中でよく映え、一幅の絵のような美しさだった。
冴子も見惚れたが、それも一瞬。
「扉開くの恐怖症になりそう」
そう言って欄干に項垂れた。抜いても抜いても家の周囲に生い茂る雑草にうんざりしていたが、今はそれが恋しかった。
「……兎に角、ここにいちゃだめだ」
ぽきりと折れそうになる心を鼓舞し、立ち上がる。
何かが肩に当たった。
「!」
ぽんぽんと肩を叩く手。気配なく、猿面の人間がすぐそこに佇んでいた。昨夜見た顔半分を隠す面。
冴子は反射的に仰け反る。欄干を越え落ちそうになり、思いきり振り上げた手が、面に当たった。
面の下、顔の上部が顕になる。紙のように白い顔、そして。
『紅い!?』
一瞬、目が合った。紅い目。
ポンッ。
格好の悪い体制になりはしたが、何とか欄干にしがみつき、落下を免れた冴子の前で、猿面の人間が忽然と消えた。
「……え」
残ったのは面のみ。それが床でカタカタ回り、止まった。
冴子はそれを茫然と見つめていた。
「あーあ、可哀想なことするな」
冴子はびくりとする。先程の猿面同様、気配がなかった。
声の方を見、固まる。
いつの間にそこにいたのか。冴子がしがみつくすぐ横。今度は面がない。欄干に腰を下ろすのは、顔を晒した人間だった。
「あれはそんなに強くないから、人の目力に耐えられないんだよね」
散切り頭に綺麗な顔立ち。折角の上等な着物を敢えて着崩し、しかし、それがこの男に良く似合っていた。
「でも、あの面を外しちゃうなんて。君って、ちょっとは見所あるのかもね」
そう言うと、人懐こい笑みを向けた。
昨夜の男ではない。姿こそ見なかったが、断言できた。
口調が違う。声音が違う。何より、態度が違う。あの声は、もっと不遜で偉そうで……。
「あ、あなたは、誰ですか?」
「うん。今から説明するから、とりあえずちゃんと立とうか」
「あ」
言われて、しがみついたままの自身に気付き、冴子は赤面する。その時になって、着物のはだけにも気付き、慌てて整えた。
そんな冴子を男は可笑しそうに笑う。
「僕は花鳥だよ。お嫁さんの名前は?」
「お嫁って!! ……私は冴子です」
「冴ちゃん、可愛いね」
そう言って冴子の手を握り、ブンブン振る。
「僕はね、慶の部下だよ」
「……慶って?」
「僕の主で、ここの主。昨日会ったでしょ」
「あ、あの人!」
思わず声が大きくなる。
「うん、たぶんその人。今から案内するからついてきて」
手を引かれるが、冴子は動かなかった。
「……行かないと、駄目ですか」
正直、気が乗らない。冴子は、すがるように花鳥を見た。物腰柔らかな花鳥であれば、もしかして助けてくれるのでは……そんな期待を込めて。
花鳥は少し困った顔をした。
「悪いけど、慶の言葉は絶対だから」
今度は強引に手を引かれる。
抵抗しようともがくも、軽い見た目に反して花鳥の力は強く、揺るぐ気配はない。冴子は観念し、引き摺られるように後に続いた。
「入るよ」
一声掛けるも返事を待たず、花鳥は戸を開く。
「連れてきたよ」
冴子が寝かされていた部屋の倍以上はある。広間と呼んだ方がしっくりくる部屋。
上座は一段高くなっており、そこに御簾が掛けられていた。
「猿が消えたようだが?」
冴子はどきりとした。
御簾の向こうから、聞き覚えのある声。
間違いなく、昨夜の男だ。
「それが、消しちゃったんだよね」
「消した?」
「ま、事故みたいなもん」
こうして聞き比べてみると、花鳥の声の方がやや低い。
それにしても主従関係だと話していたが、会話に特に改まった感じはない。
むしろ冴子は、友に接するような気安さを、二人の会話に感じた。
「おい」
花鳥がさりげなく、冴子の脇腹をつつく。そこで漸く、自身が呼び掛けられたことに気付いた。
「……は、はい」
声が上擦る。冴子は気持ち体を花鳥の後ろにずらした。
「昨日も言ったが、お前は私の妻になる」
「そ、そんな」
「あんな薄汚い場所から出られたんだ。感謝しろ」
「!」
誘拐まがいに無理矢理連れてきておいて、この言い種。
さすがの冴子もカチン、ときた。
「う、う薄汚くても、私にとっては大切な場所です。わ、私を帰して下さい!」
父と二人片寄せ合い生きてきた。その暮らしを侮辱されるのは、許せなかった。
「言ったはずだ。お前の意志など聞く気はないとな。それから、部をわきまえろ。神託さえ守れば、こっちはお前を煮るなり焼くなりできるんだからな」
「……!」
冴子は、唇を噛み締めた。
『悔しい悔しい悔しい!』
しかし、屋敷一つとっても、身分の差は歴然。実際に相手にしてみれば、冴子など、塵芥なのだろう。
どれだけ冴子の言葉に正義があろうと、関係ない。やろうと思えば、本当に煮るなり焼くなりする力が相手にあることは、嫌でも分かった。
分かってはいるが、納得できない。
冴子は御簾を睨んだ。長いまつ毛が悔し涙に湿る。
御簾の向こうは見えないが、相手も睨んでいる気がした。
パン
「!」
張りつめた雰囲気を破る音。
「はい。そこまで」
花鳥が手を打ったのだ。
「慶。女の子口説くのに、その態度って、駄目でしょ」
花鳥は冴子をその場に座らせ、自身は御簾へと歩み寄る。
「大体さ、お前お前言ってるけど、お嫁さんにする人の名前知ってる? 自己紹介したの?」
「……! そ、そんなのは、どうでもいいんだ」
その言葉に花鳥は大きなため息を吐いた。
「どうでも良くないでしょ。それに、どうせ分かるんだから出ておいでよ。往生際の悪い」
花鳥は御簾に手を伸ばす。
「あ、こら、やめろ!」
向こう側から狼狽の声が盛れた。
方や御簾を捲ろうとし、方や阻止しようと押さえる。しばらく攻防が続き、御簾は大波のように揺れた。御簾を止めた紐がギシギシ悲鳴をあげる。そして、ついには切れ、御簾は一気に床へと落下した。
「見るな!」
そう叫ばれたが、遅い。御簾が落ちれば嫌でも見えてしまう。
「……子供?」
思わず冴子は呟いた。呟きは、ばっちり聞こえていたらしく、慶は冴子を睨んだ。
「子供じゃない! 十四だ!」
「……いや、そこにこだわる所がさ」
花鳥がぼそりと突っ込んだ。
お囃子に、仮面の人々。豪奢な牛車。
それにあの男。顔も名前もわからなかったが、思い返せば腹の立つ男だった。
どうしてあんな突飛な夢を見たのか。
父さんが死んで、情緒不安定だったせいだろうか。
そもそも父さんが死んだのは、現実?
……あれも夢なのかもしれない。
そうなら、いい。
ひどく縁起の悪い夢だけど。
そうなら……。
冴子は、長いまつ毛を振るわせ、瞼を開いた。
天井が見える。
『あれ? やけに高い?』
目を擦りつつぼんやりと思い、その理由に思い当たると、サーと血の気が引いた。
跳ね起きる。
薄布で囲われた寝台。手に触れるこのふんわか包み込むような触り心地のよい感触。いつもの煎餅布団と、全然違う。
冴子は文字通り頭を抱えた。
昨夜の記憶を手繰り寄せる。
あの後、面の家来達が冴子に殺到し、何か嗅がされた。すると、意識が遠退いて……。
「誘拐だ」
間違いない。
冴子は周囲を見渡す。人の気配はない。
寝台から起きだし、薄布をかき分けた。床の軋みにびくつきながら、そろりそろりと移動する。
広い部屋だ。
閉じられた引き戸も大きい。腕に力をこめたが、思いの外、滑らかに動いた。大きく開いた戸を慌てて自身が出れる程に戻した。
左右を確認し、外へ出る。
「ここ、どこ?」
冴子は知らなかったが、廊下から望むのは枯山水の庭。しかも、これまた広大な。
白い砂が波状を描き、陽光を反射させる。植えられた松や紅葉の緑や赤が、白い砂の中でよく映え、一幅の絵のような美しさだった。
冴子も見惚れたが、それも一瞬。
「扉開くの恐怖症になりそう」
そう言って欄干に項垂れた。抜いても抜いても家の周囲に生い茂る雑草にうんざりしていたが、今はそれが恋しかった。
「……兎に角、ここにいちゃだめだ」
ぽきりと折れそうになる心を鼓舞し、立ち上がる。
何かが肩に当たった。
「!」
ぽんぽんと肩を叩く手。気配なく、猿面の人間がすぐそこに佇んでいた。昨夜見た顔半分を隠す面。
冴子は反射的に仰け反る。欄干を越え落ちそうになり、思いきり振り上げた手が、面に当たった。
面の下、顔の上部が顕になる。紙のように白い顔、そして。
『紅い!?』
一瞬、目が合った。紅い目。
ポンッ。
格好の悪い体制になりはしたが、何とか欄干にしがみつき、落下を免れた冴子の前で、猿面の人間が忽然と消えた。
「……え」
残ったのは面のみ。それが床でカタカタ回り、止まった。
冴子はそれを茫然と見つめていた。
「あーあ、可哀想なことするな」
冴子はびくりとする。先程の猿面同様、気配がなかった。
声の方を見、固まる。
いつの間にそこにいたのか。冴子がしがみつくすぐ横。今度は面がない。欄干に腰を下ろすのは、顔を晒した人間だった。
「あれはそんなに強くないから、人の目力に耐えられないんだよね」
散切り頭に綺麗な顔立ち。折角の上等な着物を敢えて着崩し、しかし、それがこの男に良く似合っていた。
「でも、あの面を外しちゃうなんて。君って、ちょっとは見所あるのかもね」
そう言うと、人懐こい笑みを向けた。
昨夜の男ではない。姿こそ見なかったが、断言できた。
口調が違う。声音が違う。何より、態度が違う。あの声は、もっと不遜で偉そうで……。
「あ、あなたは、誰ですか?」
「うん。今から説明するから、とりあえずちゃんと立とうか」
「あ」
言われて、しがみついたままの自身に気付き、冴子は赤面する。その時になって、着物のはだけにも気付き、慌てて整えた。
そんな冴子を男は可笑しそうに笑う。
「僕は花鳥だよ。お嫁さんの名前は?」
「お嫁って!! ……私は冴子です」
「冴ちゃん、可愛いね」
そう言って冴子の手を握り、ブンブン振る。
「僕はね、慶の部下だよ」
「……慶って?」
「僕の主で、ここの主。昨日会ったでしょ」
「あ、あの人!」
思わず声が大きくなる。
「うん、たぶんその人。今から案内するからついてきて」
手を引かれるが、冴子は動かなかった。
「……行かないと、駄目ですか」
正直、気が乗らない。冴子は、すがるように花鳥を見た。物腰柔らかな花鳥であれば、もしかして助けてくれるのでは……そんな期待を込めて。
花鳥は少し困った顔をした。
「悪いけど、慶の言葉は絶対だから」
今度は強引に手を引かれる。
抵抗しようともがくも、軽い見た目に反して花鳥の力は強く、揺るぐ気配はない。冴子は観念し、引き摺られるように後に続いた。
「入るよ」
一声掛けるも返事を待たず、花鳥は戸を開く。
「連れてきたよ」
冴子が寝かされていた部屋の倍以上はある。広間と呼んだ方がしっくりくる部屋。
上座は一段高くなっており、そこに御簾が掛けられていた。
「猿が消えたようだが?」
冴子はどきりとした。
御簾の向こうから、聞き覚えのある声。
間違いなく、昨夜の男だ。
「それが、消しちゃったんだよね」
「消した?」
「ま、事故みたいなもん」
こうして聞き比べてみると、花鳥の声の方がやや低い。
それにしても主従関係だと話していたが、会話に特に改まった感じはない。
むしろ冴子は、友に接するような気安さを、二人の会話に感じた。
「おい」
花鳥がさりげなく、冴子の脇腹をつつく。そこで漸く、自身が呼び掛けられたことに気付いた。
「……は、はい」
声が上擦る。冴子は気持ち体を花鳥の後ろにずらした。
「昨日も言ったが、お前は私の妻になる」
「そ、そんな」
「あんな薄汚い場所から出られたんだ。感謝しろ」
「!」
誘拐まがいに無理矢理連れてきておいて、この言い種。
さすがの冴子もカチン、ときた。
「う、う薄汚くても、私にとっては大切な場所です。わ、私を帰して下さい!」
父と二人片寄せ合い生きてきた。その暮らしを侮辱されるのは、許せなかった。
「言ったはずだ。お前の意志など聞く気はないとな。それから、部をわきまえろ。神託さえ守れば、こっちはお前を煮るなり焼くなりできるんだからな」
「……!」
冴子は、唇を噛み締めた。
『悔しい悔しい悔しい!』
しかし、屋敷一つとっても、身分の差は歴然。実際に相手にしてみれば、冴子など、塵芥なのだろう。
どれだけ冴子の言葉に正義があろうと、関係ない。やろうと思えば、本当に煮るなり焼くなりする力が相手にあることは、嫌でも分かった。
分かってはいるが、納得できない。
冴子は御簾を睨んだ。長いまつ毛が悔し涙に湿る。
御簾の向こうは見えないが、相手も睨んでいる気がした。
パン
「!」
張りつめた雰囲気を破る音。
「はい。そこまで」
花鳥が手を打ったのだ。
「慶。女の子口説くのに、その態度って、駄目でしょ」
花鳥は冴子をその場に座らせ、自身は御簾へと歩み寄る。
「大体さ、お前お前言ってるけど、お嫁さんにする人の名前知ってる? 自己紹介したの?」
「……! そ、そんなのは、どうでもいいんだ」
その言葉に花鳥は大きなため息を吐いた。
「どうでも良くないでしょ。それに、どうせ分かるんだから出ておいでよ。往生際の悪い」
花鳥は御簾に手を伸ばす。
「あ、こら、やめろ!」
向こう側から狼狽の声が盛れた。
方や御簾を捲ろうとし、方や阻止しようと押さえる。しばらく攻防が続き、御簾は大波のように揺れた。御簾を止めた紐がギシギシ悲鳴をあげる。そして、ついには切れ、御簾は一気に床へと落下した。
「見るな!」
そう叫ばれたが、遅い。御簾が落ちれば嫌でも見えてしまう。
「……子供?」
思わず冴子は呟いた。呟きは、ばっちり聞こえていたらしく、慶は冴子を睨んだ。
「子供じゃない! 十四だ!」
「……いや、そこにこだわる所がさ」
花鳥がぼそりと突っ込んだ。