天の神様の言う通り
側に仕えていた羊と鼠が、手際良く御簾を撤去した。
慶と花鳥は居住まいを正す。
「私は上ノ守 慶だ」
憮然とした顔で慶は名乗る。
迫力にかけて見えるのは、その外観を知ったからだろう。
冴子は上座に座る慶を見、思った。発言から鬼のような男ではと勝手に想像していたから尚そう思うのかもしれない。
……本人には、口が裂けても言えないが。
十四歳と言っていたが、やや青白い顔は童顔で少し幼く見えた。
青年というよりは、未だ少年と言った方がしっくりくる。少なくとも、冴子より年下なのは確かだ。
少年には不釣り合いな白に近い灰色の髪が一際目を引いた。
「わ、私は冴子です」
冴子は、お辞儀した。
ふん、と、慶はただ鼻を鳴らす。
「我が上ノ守家は代々、神の國と人の国との狭間を守ることを生業にしている」
「神の……?」
「要は神様の世界ってことだよ。名字の『カミノモリ』って、『神の守り』を指してるの。神様の意思を守るのがお仕事なわけ」
花鳥が間に入り、冴子に説明する。
冴子は今まで、神様にすがったことは、何度もあった。しかし、あくまで『叶えばいいな』程度の気持ちだった。
多くの人々同様、実際に神様を感じたことなどなかったから。
だから神様の世界も、上ノ守家の仕事も、今の冴子には想像もつかない。
ただ彼らには、神様が冴子などよりずっと近しい存在なのだということは、漠然と理解できた。
「……その神様のお告げで……」
冴子はその先を言い淀む。慶が先を繋いだ。
「お前との婚姻が決まったのだ」
「……」
それが、納得できない。
「ところでお前、親はどうした?」
「え」
俯いた冴子に慶は唐突に尋ねた。
「昨晩、一人だっただろう」
「あ」
口に出すのは、まだ辛い。冴子は父をなくした痛みを思い出した。
「……両親は亡くなりました」
囁くように答えた。
『それなら、ちょうどいい』人の気も知らないで、慶ならそう言いそうだ。
しかし、予想に反して慶は神妙に「そうか」と、短く言っただけだった。
「じゃあ、恋人や結婚の約束した相手は?」
これは花鳥。
いる、と、言えば解放してくれるかという甘い考えが過ったが、元々嘘が苦手だ。
バレて逆鱗に触れるのも怖い。
「……いません」
結局は正直に答えた。
「えー、冴ちゃん可愛いのに」
「十八にもなって、いないとは憐れだな」
花鳥が不思議そうにし、慶は蔑む。
冴子はグッと恥辱に耐えた。
父の仕事の手伝いに忙しかったのもあるが、色めいたことに縁がなかったのは事実。二人の反応が乙女の胸をえぐった。
「でも、それなら少なくとも、慶との結婚に表立った障害はないよね」
「……」
確かに。引き留めるものはなにもないと、冴子自身改めて思う。
しかし、理屈ではないのだ。
「そんなに重く考える必要はない。形だけの婚姻だ」
「形だけ?」
慶は頷く。
花鳥がその後を引き継ぐ。
「あのね、この屋敷の中なら自由にして構わないし、生活に困ることもないんだよ。それに慶はまだ子供だから、手込めにされることもないし」
「!」
「俺は子供じゃない! しつこいぞ、花鳥! だが、安心しろ。私にも好みがある」
色々、言いたいことはあるが……特に、最後の慶の台詞。
しかし、冴子は自身の心が少し揺れるのがわかった。
それを察してか、花鳥はここが正念場とばかりに、畳み掛けた。
「突然過ぎて冴ちゃんが戸惑うのは当然だけどさ、とりあえず、暫くここにいて考えてみてよ」
「ふん。考えたところで、逃がしはしないけどな」
慶は折角の花鳥の気遣いを瞬殺すると、仕事に出ると告げ、立ち上がる。
「お前の世話は面付きがする。どうせ無駄だが、逃げようなんて思うなよ。羊、鼠」
羊と鼠の面付きは平伏し、冴子の両脇へと並んだ。
慶はちらりと冴子に一瞥だけくれる。
『行ってしまう!』
「……あなたは、それでいいんですか」
冴子は退出しようとする慶の背に、思わず声をかけた。
話を聞く限り、自分は慶の好みではないようだ。それに慶は若く、身分の差もある。本当に不本意と一欠片も思わないのか。
慶は振り向き、再び冴子を見た。
目と目が合う。
慶は一瞬、瞳をさ迷わせ……たように、冴子には見えた。
「愚問だな。良い悪いじゃない。神託は絶対だ」
揺るぎない断固とした物言い。
話は終わりだとばかりに、今度は二度と振り返ることなく、部屋を出ていった。「ごめんね、冴ちゃん。またね」と、花鳥が冴子に手を振り続く。
残された冴子は、その姿が見えなくなっても、暫く体が停止したように戸の向こうを見つめていた。
慶と花鳥は居住まいを正す。
「私は上ノ守 慶だ」
憮然とした顔で慶は名乗る。
迫力にかけて見えるのは、その外観を知ったからだろう。
冴子は上座に座る慶を見、思った。発言から鬼のような男ではと勝手に想像していたから尚そう思うのかもしれない。
……本人には、口が裂けても言えないが。
十四歳と言っていたが、やや青白い顔は童顔で少し幼く見えた。
青年というよりは、未だ少年と言った方がしっくりくる。少なくとも、冴子より年下なのは確かだ。
少年には不釣り合いな白に近い灰色の髪が一際目を引いた。
「わ、私は冴子です」
冴子は、お辞儀した。
ふん、と、慶はただ鼻を鳴らす。
「我が上ノ守家は代々、神の國と人の国との狭間を守ることを生業にしている」
「神の……?」
「要は神様の世界ってことだよ。名字の『カミノモリ』って、『神の守り』を指してるの。神様の意思を守るのがお仕事なわけ」
花鳥が間に入り、冴子に説明する。
冴子は今まで、神様にすがったことは、何度もあった。しかし、あくまで『叶えばいいな』程度の気持ちだった。
多くの人々同様、実際に神様を感じたことなどなかったから。
だから神様の世界も、上ノ守家の仕事も、今の冴子には想像もつかない。
ただ彼らには、神様が冴子などよりずっと近しい存在なのだということは、漠然と理解できた。
「……その神様のお告げで……」
冴子はその先を言い淀む。慶が先を繋いだ。
「お前との婚姻が決まったのだ」
「……」
それが、納得できない。
「ところでお前、親はどうした?」
「え」
俯いた冴子に慶は唐突に尋ねた。
「昨晩、一人だっただろう」
「あ」
口に出すのは、まだ辛い。冴子は父をなくした痛みを思い出した。
「……両親は亡くなりました」
囁くように答えた。
『それなら、ちょうどいい』人の気も知らないで、慶ならそう言いそうだ。
しかし、予想に反して慶は神妙に「そうか」と、短く言っただけだった。
「じゃあ、恋人や結婚の約束した相手は?」
これは花鳥。
いる、と、言えば解放してくれるかという甘い考えが過ったが、元々嘘が苦手だ。
バレて逆鱗に触れるのも怖い。
「……いません」
結局は正直に答えた。
「えー、冴ちゃん可愛いのに」
「十八にもなって、いないとは憐れだな」
花鳥が不思議そうにし、慶は蔑む。
冴子はグッと恥辱に耐えた。
父の仕事の手伝いに忙しかったのもあるが、色めいたことに縁がなかったのは事実。二人の反応が乙女の胸をえぐった。
「でも、それなら少なくとも、慶との結婚に表立った障害はないよね」
「……」
確かに。引き留めるものはなにもないと、冴子自身改めて思う。
しかし、理屈ではないのだ。
「そんなに重く考える必要はない。形だけの婚姻だ」
「形だけ?」
慶は頷く。
花鳥がその後を引き継ぐ。
「あのね、この屋敷の中なら自由にして構わないし、生活に困ることもないんだよ。それに慶はまだ子供だから、手込めにされることもないし」
「!」
「俺は子供じゃない! しつこいぞ、花鳥! だが、安心しろ。私にも好みがある」
色々、言いたいことはあるが……特に、最後の慶の台詞。
しかし、冴子は自身の心が少し揺れるのがわかった。
それを察してか、花鳥はここが正念場とばかりに、畳み掛けた。
「突然過ぎて冴ちゃんが戸惑うのは当然だけどさ、とりあえず、暫くここにいて考えてみてよ」
「ふん。考えたところで、逃がしはしないけどな」
慶は折角の花鳥の気遣いを瞬殺すると、仕事に出ると告げ、立ち上がる。
「お前の世話は面付きがする。どうせ無駄だが、逃げようなんて思うなよ。羊、鼠」
羊と鼠の面付きは平伏し、冴子の両脇へと並んだ。
慶はちらりと冴子に一瞥だけくれる。
『行ってしまう!』
「……あなたは、それでいいんですか」
冴子は退出しようとする慶の背に、思わず声をかけた。
話を聞く限り、自分は慶の好みではないようだ。それに慶は若く、身分の差もある。本当に不本意と一欠片も思わないのか。
慶は振り向き、再び冴子を見た。
目と目が合う。
慶は一瞬、瞳をさ迷わせ……たように、冴子には見えた。
「愚問だな。良い悪いじゃない。神託は絶対だ」
揺るぎない断固とした物言い。
話は終わりだとばかりに、今度は二度と振り返ることなく、部屋を出ていった。「ごめんね、冴ちゃん。またね」と、花鳥が冴子に手を振り続く。
残された冴子は、その姿が見えなくなっても、暫く体が停止したように戸の向こうを見つめていた。