天の神様の言う通り
呼ぶ声が聞こえる。どこか遠くで。
『慶! しっかりしろ!』
花鳥だ。五月蝿い。
いつものふざけた態度はどうした。
『お願い、頑張って!』
「?」
これは知らぬ声。
知らぬモノなのに、なぜ、そんなに必死なんだろう。
光が瞼の裏まで赤く染める。
その刺激に、慶は覚醒した。
傍らに暖かいものを感じる。
体がだるい。慶は視線だけを向けた。
風月が寄り添って眠っていた。
反対側にも視線を向ける。
「!」
見知らぬ娘。
座った体勢のまま眠っている。黒い髪を一括りに纏め上げていたが、零れた一房が顔にかかり影になってしまっていた。
慶は手を伸ばした。
「って!」
簡単な動作のはずなのに、体に激痛が走った。
慶が痛みに悶えていると、長い睫毛が震え、娘の目が開く。
「……目が覚めたんですね!」
慶を見、冴子は寝起きとは思えない大きな声を出した。慶がびくりとしたので、冴子は口を押さえ謝る。
「具合はどうですか?」
今度は声を落とし、尋ねた。
「お前……は」
慶は訝しんだ。口が思うように動かない。口ばかりではない。体中がそうだった。それでも、無理に動こうとする慶を、冴子は優しく制した。
「まだ動かないで。あなたは死にかけたんですよ。……本当に良かった」
最後の言葉は吐息とともにだった。
そこで漸く、顔にかかる髪を冴子は耳にかけた。
顕になった顔を慶は見つめる。
『見知らぬ……否、違う』
「慶!」
慶の思考を遮るように、風月が飛び起きた。
涙ぐみ、感情のまま飛びつく。
「ぐっ!!」
再び激痛が走り、声にならない声が慶の口から洩れた。
「大丈夫ですか!」
冴子は慌てて風月を抱き上げた。
「慶、良かったよー! わーん!」
己の与えた攻撃には気付かず、風月は冴子の腕の中で大泣きを始める。冴子は、体を揺すり、風月をあやしながら、慶の痛んだであろう箇所を擦った。
冷たい手だ。擦られると、不思議と痛みが和らぐ気がした。
「……花鳥」
風月がいるなら、花鳥がいないはずない。慶の呟きに、冴子は瞬時に反応する。
「花鳥さんはいません。やり残したことがあるって……でも、すぐ呼びます。風月ちゃん」
風月は心得たとばかりにこくりと頷き、冴子の腕から降りると、部屋の外へと出て行った。
予め、慶に変化があった際は花鳥に知らせる約束だった。一体どうやって連絡を取り合うのか冴子にはわからなかったが、花鳥と風月にはどうやらその術があるらしい。
聞いた慶も特段疑問に思っていない様子を見ると、ここでは当たり前のことなのだろう。
「喉渇きませんか?」
医者は帰り際、一つの香炉を置いていった。その香の煙から患者は眠ったまま栄養を採ることができるらしい。
しかし同時に、意識が戻れば口から取り入れる方が良いとも助言を受けていた冴子は、布に水を含ませ、慶の口へと近づけた。
慶は眉根を寄せ警戒を見せた。冴子は躊躇う。躊躇いつつ、布を持つ指に少し力を込めた。
乾いた唇に一滴の雫。慶の喉を潤していく。
それで始めて慶は自分の喉がカラカラだと気づいた。
魚のように水分を求め、口を開閉する。
慶の様子を見て、冴子は慌てて布に新たな水を含ませた。
しかし、決して一度に沢山飲ませはしない。体が驚いてしまうのを知っていた。
慶が噎せてしまわないよう傷に配慮しつつ、枕を少し高くしてやると、様子を窺いつつ何度も何度も布を濡らせ少しずつ飲ませてやった。
慶は満足すると、再び眠った。
規則正しい寝息。
「ふう」
冴子の顔に安堵が浮かんだ。
慶が傷を追ってから九日。何度となく危うい状態になり、見守る方も気が気ではなかったのだ。
『もう大丈夫』
冴子はほっとした。ずっと気を張っていた体からも力が抜けた。
眠った慶の顔は未だ血色が悪かったが、そこに苦しみはない。傲慢で偉そうで、拐かされてきた冴子には、好感を抱ける相手では到底ない。
「でも、寝顔は可愛い」
それは認めざる得ない。無防備に眠る姿は、以前見た記憶より幼く見えた。
冴子は、慶のそっと布団を整えてやった。
『慶! しっかりしろ!』
花鳥だ。五月蝿い。
いつものふざけた態度はどうした。
『お願い、頑張って!』
「?」
これは知らぬ声。
知らぬモノなのに、なぜ、そんなに必死なんだろう。
光が瞼の裏まで赤く染める。
その刺激に、慶は覚醒した。
傍らに暖かいものを感じる。
体がだるい。慶は視線だけを向けた。
風月が寄り添って眠っていた。
反対側にも視線を向ける。
「!」
見知らぬ娘。
座った体勢のまま眠っている。黒い髪を一括りに纏め上げていたが、零れた一房が顔にかかり影になってしまっていた。
慶は手を伸ばした。
「って!」
簡単な動作のはずなのに、体に激痛が走った。
慶が痛みに悶えていると、長い睫毛が震え、娘の目が開く。
「……目が覚めたんですね!」
慶を見、冴子は寝起きとは思えない大きな声を出した。慶がびくりとしたので、冴子は口を押さえ謝る。
「具合はどうですか?」
今度は声を落とし、尋ねた。
「お前……は」
慶は訝しんだ。口が思うように動かない。口ばかりではない。体中がそうだった。それでも、無理に動こうとする慶を、冴子は優しく制した。
「まだ動かないで。あなたは死にかけたんですよ。……本当に良かった」
最後の言葉は吐息とともにだった。
そこで漸く、顔にかかる髪を冴子は耳にかけた。
顕になった顔を慶は見つめる。
『見知らぬ……否、違う』
「慶!」
慶の思考を遮るように、風月が飛び起きた。
涙ぐみ、感情のまま飛びつく。
「ぐっ!!」
再び激痛が走り、声にならない声が慶の口から洩れた。
「大丈夫ですか!」
冴子は慌てて風月を抱き上げた。
「慶、良かったよー! わーん!」
己の与えた攻撃には気付かず、風月は冴子の腕の中で大泣きを始める。冴子は、体を揺すり、風月をあやしながら、慶の痛んだであろう箇所を擦った。
冷たい手だ。擦られると、不思議と痛みが和らぐ気がした。
「……花鳥」
風月がいるなら、花鳥がいないはずない。慶の呟きに、冴子は瞬時に反応する。
「花鳥さんはいません。やり残したことがあるって……でも、すぐ呼びます。風月ちゃん」
風月は心得たとばかりにこくりと頷き、冴子の腕から降りると、部屋の外へと出て行った。
予め、慶に変化があった際は花鳥に知らせる約束だった。一体どうやって連絡を取り合うのか冴子にはわからなかったが、花鳥と風月にはどうやらその術があるらしい。
聞いた慶も特段疑問に思っていない様子を見ると、ここでは当たり前のことなのだろう。
「喉渇きませんか?」
医者は帰り際、一つの香炉を置いていった。その香の煙から患者は眠ったまま栄養を採ることができるらしい。
しかし同時に、意識が戻れば口から取り入れる方が良いとも助言を受けていた冴子は、布に水を含ませ、慶の口へと近づけた。
慶は眉根を寄せ警戒を見せた。冴子は躊躇う。躊躇いつつ、布を持つ指に少し力を込めた。
乾いた唇に一滴の雫。慶の喉を潤していく。
それで始めて慶は自分の喉がカラカラだと気づいた。
魚のように水分を求め、口を開閉する。
慶の様子を見て、冴子は慌てて布に新たな水を含ませた。
しかし、決して一度に沢山飲ませはしない。体が驚いてしまうのを知っていた。
慶が噎せてしまわないよう傷に配慮しつつ、枕を少し高くしてやると、様子を窺いつつ何度も何度も布を濡らせ少しずつ飲ませてやった。
慶は満足すると、再び眠った。
規則正しい寝息。
「ふう」
冴子の顔に安堵が浮かんだ。
慶が傷を追ってから九日。何度となく危うい状態になり、見守る方も気が気ではなかったのだ。
『もう大丈夫』
冴子はほっとした。ずっと気を張っていた体からも力が抜けた。
眠った慶の顔は未だ血色が悪かったが、そこに苦しみはない。傲慢で偉そうで、拐かされてきた冴子には、好感を抱ける相手では到底ない。
「でも、寝顔は可愛い」
それは認めざる得ない。無防備に眠る姿は、以前見た記憶より幼く見えた。
冴子は、慶のそっと布団を整えてやった。