ハメごろし

 フと、後ろに黒い影が走った。右から左へと一瞬だったけど、首から下のヒトの影のように見えた。

 右は玄関だ。そして左は……



「……リビング」




 鏡に両手をついて間近で自分の顔をじっと見回した。




『目の中を覗いちゃいけないよ。鏡の中にいる悪霊に魂を乗っ取られるからね』




 おばあちゃんに繰り返し言われてきたことばを思い出した。





『鏡の中には悪霊がいるの?』


『そうだよ。殺人鬼として生きた人はやがて悪霊となってね、自分の印象に強く残っている辺りを浮遊するんだ。でも、それだけでどこへも行けずにその場所に閉じ込められるんだよ。だから、お前が鏡を覗いている時は、』





『いるときは?』






『鏡の中に映る自分の姿の向こう側から悪霊が狙いを定めてお前を見てるんだ。お前が自分の目をじっと見つめているときも、お前の目は実は自分じゃない悪霊を見ていることになるんだよ。鏡の中の自分に惚れちゃいけない』



『そんなことしないよ。でももし惚れちゃったらどうなるの?』




『その時はお前も殺人鬼になってしまう』






『なりたくない!』





『だろう。それなら簡単なことだ。夕方になったら鏡に布を被せな。そして明くる日の朝まで見ないことだ』






 とても簡単なことだ。私は忠実に守ってきた。






 
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