きみと、春が降るこの場所で
◇
少し前までは静かに眠れていたのに、最近になってずっと耳にこびりついていた機械音が、どこか遠くに聞こえる。
その代わりに、大好きな声が近くにあった。
鼓膜を優しく震わせるその声が、17年間そばにあった音だと意識すると、なお鮮明に聞こえてくる。
「……ぉ、と………さ…」
重い瞼を、それでも薄らと押し上げたはずなのに、目の前が白くぼやけて見える。
白いのに、吸い込まれそうなくらいに黒くて、瞬きをすると2度と光を見る事が出来ないような気がして、こわい。
恐る恐るひとつ瞬きをしても、白くて黒い目の前は変わらない。
右手を覆う温かな体温が、心地いい。
「詞織、詞織。聞こえるか?」
うん。聞こえるよ、お父さんの声。
お父さんが呼ぶ、わたしの名前。
声は絞り出しても音にはなってくれないけれど、唇でなぞるようにお父さんを呼ぶと、力強く頷いてくれた。
聞こえているんだ、ちゃんと。音がなくても、声がなくても、届いている。
「………っ…」
なんで、声が出ないんだろう。
わたしの耳がおかしくなっちゃっているだけで、本当はちゃんと喋れているのかな。
そんなわけ、ないか。
だって、掠れているとかそんなのじゃなくて、喉の奥に突っかかって、舌の根まで上がってきてくれないんだもん。
お願いだから、最後くらい、声を返して。
お父さんに伝えたい事が沢山あるの。
両手で抱えても足りないくらい、感謝の言葉を尽くしても焦れるくらい、お父さんに伝えたい事。