きみと、春が降るこの場所で
「でも、お母さんもお父さんも大好き……朔?どうしたの?」
「…なんでもねえよ」
泣いていたのは詞織じゃない。
俺が、泣いていた。正確にはまだ泣いていないけれど、泣きそうになった。
さっき俺は何て言った?
俺がいなくても詞織には親がいるからいい?
そんなわけない。あったとしても言ってはいけなかった。
誰かが、誰かの代わりになるなんて、そんな事を軽々しく口にして
『詞織がいなくても、俺には別の誰かがいる』と、伝わってしまってはいないだろうか。
傷付けるばかりだ。たった一言が詞織に牙を剥く事を、知っているのに。
「ね、朔。わたしね、あんまり人との縁がないの」
ゆっくり、一文字一文字が俺の耳に流れ込むように、心地いいリズムで紡がれていく。
「切れかけた縁ばかりで、それをたぐり寄せる勇気もなくて、わたしの居場所は人の隣じゃなくて病室だけなんだって思ってたんだよ」
何でもない事のように言うから、水流に流された木の葉を見て見ぬフリをするように、聞き逃してしまいそうになる。
両手でそっと掬い上げてやりたいのに、届かない場所で流れていく詞織の思い。
「あの日も、朔にもう一度会えるとは思ってなかった」
「あの日って…雨で桜が散った日か?」
「うん。朔が約束してくれた日。またなって言ってくれた日だよ。わたし嬉しかった。またひとつ縁が出来た事もその縁が今もこうして繋がっていることも、嬉しくて仕方ないんだよ」
あどけない笑みを浮かべて、頬にえくぼを作って、詞織の手が俺の手に重なる。
小さな手だ。この手で掴もうとした物を、どれだけ諦めてきたんだろう。
届かないと諦めるのではなくて、詞織の優しさが生んだ、途切れてしまう事への諦め。
人よりも早く、詞織はその命を終える。
詞織のそばで息をする大半の人間よりも、ずっと早く。
出会う人を、傷付けないように。
出会った人を、悲しませないように。
色んな事を諦めてきたのに、俺の縁だけは、たぐり寄せてくれた。