きみと、春が降るこの場所で
そんなに恥ずかしいもん描いたのかよ。
ぺらっと適当に開いたページは見事にビンゴだったらしく、黒いクレヨンの跡が次のページに残っている。
というか、これ……
黒いクレヨン一色しか使っていないのに、光の反射や顎の影の濃淡まで緻密に描き込まれた― ―俺の、横顔。
「朔のばか」
布団の中から、くぐもった声が聞こえる。
馬鹿はどっちだ。こんな絵、描かれた方が恥ずかしいわ。
「それ持って帰って。わたし全部忘れるから」
「全部ってなにを」
「朔の、顔を見て、どきどきした事」
聞いて、何かを言おうとした。
どきどきしたって、どういう意味なんだと。
けれど、やめたんだ。
だって、詞織は忘れたいって言ったんじゃない。“忘れる”とはっきり告げた。
ならそれを、俺が止めるわけにはいかない。
忘れるな、なんて、どうしても言えない。
ビリリ、と紙を破る音が、部屋に響く。
詞織がこの絵を持っていて、それで俺がいない間にも、思い出してくれないかな。
会いたいと、思ってはくれないかな。
布団に潜ったままの詞織に声をかけようとした時、彰さんが俺を呼んだ。
「ばいばい、朔」
顔くらい、見せろよ。バカ。
「またな。今度はチャリで来るから、楽しみにしてろよ」
前に、鳥のように飛んで来てやると話をした事を叶えてやえる。
羽はないけれど、自転車なら詞織が思い描く鳥の姿に似ているはずだから。
よく見ると俺でもヘタクソだと笑いたくなるようなチューリップの絵を筒状に丸めて布団に押し込む。
そのまま、詞織を置いて部屋を出た。