きみと、春が降るこの場所で
淡々と告げるにつれて、詞織の手に力が入っていく。
やるせなさを残したまま沈黙が落ちたと同時に、詞織のパジャマのズボンにも丸くて小さな染みが落ちた。
「詞織?」
家の周りには人口の灯りがないから、窓から差し込む月明かりは、くっきりと詞織の輪郭を浮かび上げる。
人の為に流す涙というものの美しさを初めて知った。
「わたしは、朔が大好きだよ」
「詞織」
「大好き!ごめんね、他に、何も言えなくて」
他の言葉が見つからないくらい、当たり前のように、そんな最上級の言葉をくれる。
好きな人に、好きだと言ってもらえる事。
包み込むように、あたたかい。
「わたし、朔には何もあげられないけど、ひとつだけ、差し出せるものがあるよ」
詞織は頬に流れる幾筋もの涙を拭おうともせずに、手のひらを俺の胸の辺りに重ねて、目を閉じる。
「朔の明日が辛いなら、わたしがそばにいてあげる。綺麗なものが見つからないなら、わたしが一緒に探してあげる。朔に、わたしの一生をあげる。朔がいらなくなったら、捨てていいからね」
静かな声は、嗚咽に邪魔されて時々詰まったけれど、一文字も零れずに俺の耳に届く。
一生をあげるなんて大層な宣言、俺にしていいのかよ。
俺から詞織を捨てるなんて、ありえない。
ずっと抱き締めていたい。離れないように、繋ぎ止めて、そばにいてほしい。
「泣いていいよ、朔」
詞織の短い腕では俺の背中を包み込む事は出来ないけれど、それでも指先までピンと伸ばして抱き締めてくれた。
かき抱くように細っこい体にしがみつくと、その温もりを感じた瞬間、涙が零れた。
堪らえる余裕も、必要もない。
泣いていいよ。そう言ってくれた詞織が泣いているんだから、何も恥ずかしくない。