彼女は僕を「君」と呼ぶ
HR後の島崎の誘いをかわし、渡り廊下へと急ぐ。

放課後は小野寺教諭自身も出張だったり、早い退社だったりと居る可能性はまちまちなのだ。

それに合わせて彼女の居る確率も格段に少なくなる。
まだ居るだろうか、念を送りつつ扉を開きかけて維の身体が通り抜ける事無く止まった。

踵はきっちりと床につけられ、何時もの視線の先に背を向けていた。そしてこちらを見た。

不思議な風が流れる。中途半端に開かれた扉から擦りぬけてくる眼差し、喜んでいいのかはたまたどうしてと困ったものか。

入り乱れる維の感情は上手く表情に現れず、無理矢理上げた口角がピクリと引きつる。

「あれ、小野寺先生いなかった?」

会話の糸口は小野寺教諭しかない。

何時もの定位置に座ってよいものか、取敢えず扉を閉めて彼女に近く。

「遅かったね、今日はもう来ないのかと思った」

それは自分へと向けられた言葉だろうか。あまりにもそのような事がなかったから困惑する。

今日はやたら移動教室が多く、昼休みも島崎に捕まってしまった。本日、一方的には顔を合わせたのは先程で、彼女が維を確認するのは今が初めてだ。

何かあったのだろうか。

彼女は前で組んだ手を放したり絡めたり、口を開きかけてやめたりと忙しい。

「どうしたの?」
「昨日、お兄ちゃんが来たの」

その出だしに思わず首を傾げる。彼女の口から語られる事は全て小野寺教諭の事だった。

彼女自身に兄弟が居る事さえ知らない。そんな事を思っていると慌てた彼女が訂正した「先生」頬がほのかに赤く色付く。

成程、小野寺教諭の事は普段はお兄ちゃんと呼んでいるのか。

羞恥心を分散させる為か、目をパチパチさせて、それから順を追って話した。
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