彼女は僕を「君」と呼ぶ
「今日はよく冷えるね」
それに対して返ってくる言葉はないのは何時もの事だ。
寧ろ「そうね、寒いわ」などと返ってきた方が一大事である。
連れてこられた理由も、維が此処に来ても何も言わない理由も全くもって分からない。分からないからこそ来れるのだが。
いつの間にか、背伸びをする彼女の真後ろを陣取り、腰を据えるのが定位置になった。
彼女が眺めるのは、西館2階の英語科準備室。3学年担当の英語科教師が席を連ねるそこ、窓際に小野寺教諭の席がある。
此処から見えるのは、背広を椅子の頭にかけ、いつも糊の利いたワイシャツの後ろ姿。
毎日何が変わって見えるのかは理解出来ないが、彼女が楽しそうなら毎日違うのだろうと思える程にはなった。
なにせ、維が居ようが居まいが、彼女にとっては関係のない事で、今日も今日とてつま先を減らすのだ。
「今のうちに取り込んでおくの。まだ誰のものでもないから」彼女はそう言った。
小野寺教諭は誰かのものだと言えば、結婚する婚約者殿が妥当だ。
唯一、婚約者殿が見る事の出来ない姿。それが教員として働くその姿であり、結婚してからだって辞める訳ではないだろうし続けて見ればと思うが、彼女の中で明確な線引きでもあるのだろう。
それをとやかくいう事は維には出来ない。だって、関係ない奴だから。