あのすずの音が忘れられない
僕はそれから毎日すずの病室に通った。
「今日、部下の古泉くんがすずの真似をしてケーキを焼いてきたんだ。とても食べられたものじゃ無かったよ」
「今日、姉貴が仕事を早退したくせに母さんと焼肉に行ってたんだ」
「今日、すずの好きな作家の本が発売していたよ。買っておいたからね」
「今日は仕事で嫌なことがあったんだ、ムカつく上司め」
「今日はパズドラのゴットフェスだよ!すずの欲しがっていたモンスター出る確率が上がってるよ」
すずは、事故のあった日から眠ったまんまだった。
でも僕は喋り続けた。
すずはお喋りだった。
お喋りだったすずがいなくなって家が静かになって僕は落ち着かなくなっていた。
すずの前で喋り続けた。お願いだから起きて、すずの声が聞きたい。
すずを撫でて、触れてキスをして、抱きしめたい。
でもすずは何ヶ月も目を瞑り続けた。
すずが事故にあってから半年が過ぎた頃、早めに仕事を切り上げてすずの病室に行くと、すずの母親が立っていた。
事故にあった時のやつれていた印象は消え、凛としたどこか不機嫌そうな表情ですずの顔を見ていた。
「…こんにちは」
僕は挨拶を軽めに済ませると、いつも通りすずに話しかけた。
その様子をすずの母親はずっと見ていて、僕は何だか居心地が悪かった。
僕は話を終えると、すずの母親に軽く会釈して帰ろうとした。
すると
「待って」
すずの母親は僕を呼び止めて、カバンからシンプルな茶色い封筒を取り出した。
「すずは、本当は事故に遭う前から余命宣告を受けていたの。」
余命宣告?僕の頭の中で警戒音が鳴り響いた。
「すずは癌だったわ、ちょうど家を出た頃に一年も生きられないと先生に言われていたの。」
すずが癌だった?事故に遭う前から死ぬ予定だったのか?
僕はすずの母親の話を聞きながら、すずが家に来た時のことを思い出していた。
とても余命宣告を受けた少女とは思えないほど、僕の記憶の中のすずはキラキラとしていて思い出すと胸がギュッと痛くなった。
「わたしはすずが余命宣告を受けて、家を出ると言った時にとても理解できなかった。いえ、したくなかったわ。残された命を自由に生きると宣言した娘の意思を尊重してあげたくて、延命治療を受けないことに同意して自由にさせていたのに、わたしを捨ててあなたと一緒にいたいって言ったのよ。」
すずの母親の目には涙が溜まって、その涙をこぼさないように必死に堪えているように僕を睨んだ。
「わたしは反対したわ、すずと会ってたかが一年の男に今まで育ててきた娘を取られるなんて嫌だった!」
すずの方へゆっくりと歩いて、娘の頬を撫でる母親の表情を見て、僕は始めてすずとの共通点を見つけた。
怒り方がすずそっくりだ。
混乱していた心が少し和らぐのを感じた。
すずの母親は僕の方を見て
「でもねすずは一度決めたら譲らないのよ」
と少し笑う。
『お母さんの事は大切よ、すずはお母さんに伝えきれないくらい感謝している。』
『でも、死ぬってわかった時に側にいたいと思った相手はジュンジさんだったの。お父さんが死ぬとき愛するお母さんから離れなかった様に、すずもジュンジさんの側にいたい。』
「そう言って譲らなかったわ。わたしはあの子が譲らなかった時、諦めることにしているの。でも今回はなかなか諦めきれなかったわ」
そう言って目を細めながら笑った。
そして僕に封筒を握らせて、病室を出て行ってしまった。
取り残された僕は手元の封筒に視線を移した。
そこには、見慣れた文字で【遺書】と書いてあった。