キミが欲しい、とキスが言う
「できるだけ早いうちに返事をしろ。編入させるなら、あちらの新学年がはじまる九月には編入させたいんだ」
あまりにも突然の話だ。
九月なんてひと月半しかない。
「……もう決定なの? イギリス行きの話は」
「今家をリフォームしている。ほぼ本決まりだ」
「どうしてもっと早くから教えてくれないのよ」
「お前が寄り付かなかったんだろうが。浅黄にはそれとなく話してある。それに、さんざん好き勝手してきた娘に言われる筋合いはない。お前が俺たちに事前に相談したことなんかあったのか」
悔しいけれど、反論など一つも思いつかなかった。
したことは必ず返される。
これが、今まで私が両親にしてきたことと同じだと言われれば、言い返せるはずもなかった。
「……帰るわ」
私は両親の返事を聞く前に立ち上がった。玄関でサンダルを履いていると母が追いかけてくる。
「茜。浅黄のことなんだけど」
背中に触れてこようとする母の手を私は払った。
「……浅黄、週の大半は一人で帰ってくるんだって?」
「知ってたの? あの子が言い出したのよ。“僕、一人でも平気だ”って。暗いの怖くないって」
「そんなわけないじゃない。小学二年生なのよ?」
怒鳴ったら、母は悲しそうな顔で私を見つめる。それ以上、強くは言えなかった。そもそも浅黄を夜に一人にしているのは私の方だ。
「……ごめん。でもなんで行っちゃうの」
「お父さんなりの優しさなの。里帰りだってほとんどできなかったでしょう。老後くらい好きなところで暮らさせてやるって言ってくれて」
不器用な優しさだ。でも、それがこの二人の間にある愛情だ。
亭主関白の父に母が我慢して付き合っているように見えていたけど、ちゃんと思いあってはいたわけだ。だからこそ“夫婦”。私には築けなかった信頼の形。
「浅黄にとっても茜にとってもいいと思うのよ。ねぇ、一緒に行きましょう?」
今まで、異国で頑張ってきたのはこの人だ。帰りたいと思うのならば反対するのは違うんだろう。
「……考えさせて」
私は母の顔を見れないまま、背中をむけて家をでた。