キミが欲しい、とキスが言う
「……僕、行かない。ここにいたい」
浅黄は、はっきりとそう言った。
瞬きをしてもう一度浅黄を見ると、もうダニエルの影は見えなかった。
「僕はお母さんと一緒にいたい。僕にはお母さんしかいないもん」
「浅黄」
「僕がいるから、お母さんが不幸なの知ってる。でも僕はお母さんといたい」
「私は……不幸なんかじゃないわ」
気を抜いたら泣いてしまいそうだったから、自分のひざのあたりに爪を立てる。その手に、馬場くんが上から掌を重ねてきた。顔を上げたら眼が合う。とても、優しい表情をしていた。
「だってよ、茜さん。これでもまだ疑うの? 浅黄の一番は自分じゃないって?」
「馬場くん」
「信用してやれよ。浅黄がかわいそうだ」
浅黄も、私をじっと見つめている。すがるような瞳は、ダニエルに似ている。
私は、いつかこの子が私を置いて行ってしまうのが怖かった。
でも違う。浅黄はダニエルじゃない。
「浅黄。こっちにきて」
手を広げたら、浅黄は母を振り切って私の胸に飛び込んできた。柔らかい金の髪が頬に触れる。浅黄の匂いが体中を埋め尽くす。
「浅黄がいなかったら、私は私でいられないわ。不幸なんかじゃない。……浅黄のママでいられるから幸せなのに」
自分の意志で、産みたいと思った子供。時々、どうしようもなく面倒くさくて、だけどどうしようもなく愛しい、私の息子。
「浅黄がいるから、私、笑っていられるのよ」
驚くほど素直に言えたのは、馬場くんが隣にいたからかしら。