キミが欲しい、とキスが言う
それからしばらく歩くと、アパートが見えてくる。
「あ、電気ついてる」
馬場くんがそう言い、二階を指さす。
もう深夜一時近いけれど、私の部屋には明かりがついていた。
「でもこの時間だから寝てるわよ。今日は消し忘れたのね」
イギリス行きの話が消えてからもずっと、浅黄はひとりで家に帰ってきている。
本当は寂しいだろうに、「平気」と言い続けてくれる。
そんな我慢をさせていることがやっぱり申し訳ないなとは思うんだけど。
「浅黄に悪いって思うなよ」
「え?」
考えを読まれたみたいで、驚いて彼を見つめた。
「ここにいたいって、あいつが決めて頑張ってるんだから。茜さんに謝られたら、あいつの立つ瀬がないだろう」
「……そういうもの?」
「そういうもん。男だからね」
馬場くんは、ポンと肩を叩いて自分の部屋の鍵を回した。
「じゃあ、お休み、茜さん」
「おやすみなさい」
いつも馬場くんはすぐに部屋に入ってしまう。あっさりと交わされる別れの言葉が、寂しいなんて思う資格、私には無いのに、このタイミングは胸がきゅっと詰まる。
部屋に入り、電灯に照らされた浅黄の寝顔を見つめた。
「……ただいま、浅黄」
暑いからはだけたのであろうタオルケットをお腹にかけなおして、彼の頭を撫でる。
「いつも……」
ごめんね、と言いそうになって、慌てて言い直した。
「いつもありがとう」
それは多分、ひとりだったら思いもつかなかった言葉だった。