キミが欲しい、とキスが言う

夏なのに、熱苦しいスーツ姿。汗のにおいにかつての記憶が刺激される。上手い言葉も態度も思いつかずに、私は彼に抱きしめられたまま、廊下に放り出された上着をぼんやりと見つめた。

あれから何年?
浅黄が八歳だから、九年くらいか。

人は変わるんだな。いつもオドオドしていたダニエルが、人前でこんなことをするくらいになるなんて。

他人ごとのようにそんなことを考えながら、私は彼の胸を手で押した。


「離して、ダニエル」

「嫌だ。森田教授にさっき聞いた。僕の子はどこ? どうして言ってくれなかったの」

「あなたの子じゃないわ。あの子は私の子」


彼の手が緩んだので、彼の腕の中から逃れた。
ダニエルは傷ついたような顔をしている。そんな顔をされるなんて、こっちの方が心外だ。


「どうしてそんなことを言うんだ、アカネ。ずっと探していたんだよ。本国に戻っても、やっぱり君のことが忘れられなかった。でもあの時僕はしがない学生で、仕事として学問を行えるまでまだまだ時間がかかったんだ。日本にずっといるわけいは行かなかったんだよ」

「言い訳なんて今更結構よ。あなたはもう私の人生から消えたの。今更何なのよ」

「僕は忘れてなんてない。三年前からずっと探していたんだ」

「なんで三年なのよ。私たちが別れたのはもっと前でしょう? あの時捨てておいて、なんで今更探そうとするのよ」

「だってあの時は、……仕方なかったんだ。僕は君を連れていけるほどの力がなかった。連れて行ったって苦労させるだけなら、あそこで別れた方がいいって思って」

「そう思ったんなら、もうそっとしておいてよ!」
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