キミが欲しい、とキスが言う
今のキスで感じたことは、口数少ないくせにキスだけはかなり上手いってことだけだ。
これじゃあ余計、体目当てだってことを立証するようなものよ。
「……分かるわけないでしょ!」
「分かってくださいよ。子持ちの人と付き合いたいなんて、覚悟がなきゃ言えません。俺は思いつきで言っているわけじゃない。こうして動き出すまでにどれだけ悩んだと思ってんですか。簡単じゃないのは分かってる。それでも欲しいって思ったから動いてるんだ」
真顔で怒られたって、知らないわよ。
あなたが心の中でどう思ってたかなんて知らないけど、急に言い寄られたってビビるのよ。
睨み返そうと思ったのに、私の中で何かが緩んでしまったらしい。
ぽろりと涙が浮かび上がり、ボロボロと自然に落ちていく。
「……っ、なんで泣く」
「知らないわよ。勝手に溢れるんだもん」
ひるんだように馬場くんの腕の力が緩んだ。この場を切り抜けるには、今はチャンスかもしれない。
すり抜けるようにして、彼の拘束を逃れた。
「離して、帰る」
「茜さん」
「いきなりすぎるのよ。わけが分からない」
馬場くんは体が大きい。数歩で小走りの私に簡単に追いついてきた。
「分かってもらえるまで、粘ります」
……ホントにこの人は一体何を考えているのだろう。
そこから彼は無言になったから、私もただ黙って隣を歩いた。
都内の終電は遅い。今ならぎりぎり間に合いそうだ。
馬場くんを振り切るにはタクシーに乗ったほうが早いけれど、あまり無駄遣いもしたくない。
駅の構内、改札をくぐる直前まで、彼は私の背後を静かに歩いてついてきた。
別れ際までシカトし続けているのもなんだか辛い。
金輪際顔を合わさないのならいいけれど、私は【U TA GE】通いまでやめるつもりはないんだもの。
「電車、乗るから。……じゃあね」
「はい。また」
改札をくぐってからもずっと、彼の視線が私に絡みついているようだった。なんとなく後ろを振り向くのが怖い気がして、私はただ前をじっと見つめて前へ進んだ。
乗り込んだ電車の空いていた席に座る。
もう他の路線も最終のはずだけど、馬場くんは乗り遅れないのかしらと思っているうちに、アナウンスが鳴り、電車は走りだした。