キミが欲しい、とキスが言う
「今幸紀くんが勤めているお店の店長さんとね、昔色々あったのよ。その時のこと、利紀さんはまだ許してなくてね。幸紀くんが仕事決めてきたときも散々ケンカしたんだ。『どうせ都会でつぶされて帰ってくる』ってね。……けど、なんだかんだとうまくいっているから、悔しいのよ。それに加えて、こんな綺麗なお嫁さん連れてきたから」
そういえば前にもそんなこと言っていたな。
橙次ってば、一体馬場家に何をしたのよ。
聞こえていたのか、お義兄さんが江津子さんに怒鳴りつける。
「違うって言ってんだろ。お前は腹立たないのかよ。当てつけみたいにお前と同い年の女連れてきたんだぞ?」
水を向けられて、江津子さんは「えっ」と急に戸惑い始める。
お義兄さんは目を伏せたまま、幸紀の首元を掴んだ。そのこぶしが、小さく震えているのが見て取れる。
「バカにすんなよ。都会の女に何が分かるんだよ。農家の嫁ってのがどんだけ苦労してるか知らねぇだろ」
江津子さんのかさついた指、化粧っ気のない日に焼けた肌。そういったものと対極にある私。
――ああ、そういうこと。
お義兄さんの怒りの理由がなんとなくわかったような気がした。
私は息を吸って、深呼吸をする。
自分が当事者だと思うから戸惑ってしまったけれど、こんなふうに当たり所の分からない苛立ちを抱えた人にどうふるまえばいいのか、私は本当は知ってるはずだ。
スナックに来る人は、こんなふうに行き場を無くした人が多い。
理解してもらえないことが苦しくて、一時的にでもいいから逃避したいのに、頭から離れなくていろんなものに当たってしまう。決して、だれかれ構わず傷つけたいわけじゃないのに。
それは、私がホステスだから分かること。