キミが欲しい、とキスが言う

モップを片づけていると、事務所から悲鳴のような声がする。


「どうした房野」

「す、すみませんー、馬場さん」


事務所のドアを抑えて、頬を赤く染めてる房野。


「別に。上だけだし」

「いやー、開けないでください!」


ちらりと空いた扉の隙間から、上半身裸の馬場さんが見えた。

ああ、着替え中だったのか。
客席を多くとっているうちの店は、裏方がいるためのスペースが少なく、事務所とロッカールームが一緒になっている。なので、使用する際は必ず鍵をかけるよう言ってあるのだが、昔は男だけでやっていたので、男性陣はどうもその辺りがうっかりしている。

悪いことをしたなと思いつつ、間に入ろうとしたら、その前に店長が厨房から血相を変えてやってきた。


「つぐみ、何があった。幸紀に襲われたか」

「そんなわけないじゃないですかっ。ああもう、馬場さんも着替えるときは鍵閉めてください!」

「そうだぞ、幸紀。つぐみに変なもの見せるなよ」


若干店長が暴走しつつあるのを感じて、間に割って入る。


「落ち着いてください。店長。男の上半身なら別に見られてどうというもんでもないでしょう。実際馬場さんは気にしてないじゃないですか」

「でもつぐみがビビってる」

「でもつぐみちゃん、そろそろ男の上半身くらい見慣れてきたでしょ」


扉をさらに開けて、平気な顔でそういうのは馬場さんだ。


「馬場さん、それセクハラです」

「そうだぞ幸紀。っつか、和義も着替えてんじゃねぇか、閉めろよ!」


確かに奥に高間さんの姿も見える。しかもあっちはズボンを履き替えていた。再びばっちり見てしまったらしい房野は、可哀想に両手で顔を抑えて悶えている。
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