キミが欲しい、とキスが言う
「うまいか?」
厨房と向かい合わせのカウンター席で幸太と萌黄と並んで食べていたら、お父さんが顔をだした。
「うん。おいしいよ。これ食べたことないけど、新作だよね」
豚丼のようだが、通常の甘辛だれと違って、シンプルな塩味にワサビの風味がある。
【U TA GE】が居酒屋だったのと違って、【宴】は食事処だ。
鍋だけではなく丼も扱い、お酒の扱いは少ない。営業時間も、十一時から二十二時と夜が早い。
「おう。ちょっと大人向けなんだがどうだ?」
「おじさん、旨いよ。俺、もう少しワサビ利いていてもいいな」
「僕はこれでちょうどいいかなぁ」
父さんは満足げに頷きながら、普通の豚丼を食べている萌の頬についた汚れを指でぬぐうと、客席を回って戻ってきた母さんから伝票を受け取る。
「オーダー入ったわよ」
「ん」
厨房から全体が見渡せる小さな店。一緒に働く母さんの明るい声。カウンター席に座る僕。
父さんが昔聞かせてくれた夢の形が、今ここに出来上がっている。
「じゃあ、萌連れてくね」
「頼むな」
洗濯物と萌の園児カバンを預かり店を出ると、百メートルも歩かないうちに萌がぐずりだす。
「お兄ちゃん、疲れた」
「さっきまで休んでたろ。頑張って歩こう」
「だってぇ」
「いいよ。俺がおぶってやるよ」
幸太がそう言い、萌黄が歓声をあげる。
その姿に、また彼女の面影がよみがえる。
いつか、また、会えるだろうか。
そう期待する自分に、笑ってしまう。