キミが欲しい、とキスが言う
1.口は自然に嘘をつく



 目の前のグラスの中でくっついていた氷が、カランと音をたてて離れた。
私がそれをじっと見つめているのにも気づかず、隣に座ったお客さんは切々と仕事の愚痴を言い続けている。
もはや口癖になったような相槌が、考える前に口をついて出た。


「大変ねぇ、木村さん」

「そうなんだよ。やっぱりアカネちゃんは分かってくれるなぁ」


にっこり笑うと、嬉しそうに前のめりになる木村さん。

まあお仕事だからね、聞いてあげるけど。
でも、ここはスナックよ。愚痴ばっかり言ってないで楽しめばいいのに。


大手商社の中間管理職だという彼は、鼻の下を伸ばして視線を私の胸元に向け、手を握ってくる。

ここはお触り厳禁のスナックだけど、腰を抱かれたり、手を握られたりくらいのスキンシップは普通にある。
これに目くじらを立てるようでは、ホステスなんてやれないだろう。


「元気出して、木村さん。ね、カラオケでもどう? 一曲歌いましょうよ」


だから逃げたいときはこれに限る。一曲百五十円。
さり気なく売上にも貢献できる美味しい技。


「アカネちゃん一緒に歌ってくれるかい?」

「もちろんよ。ほら、行きましょ」


彼の腕を引っ張って、カラオケ機の前まで連れて行く。

店内は薄暗く顔まで判別できないけれど、そこそこ賑わっているようだ。
七十年代の歌謡曲のイントロが流れ始めると、お客の中から冷やかしの声が飛び、薄暗い照明の下で私たちは声を張り上げる。

愚痴を言うお客は要は発散したいだけ。歌っているうちに、木村さんはすっきりしたように笑顔になっていく。
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