キミが欲しい、とキスが言う

「また連絡して。今日はふたりを待たせてるから帰るわ。幸太くん、またね」

「ばいばーい」


元気な幸太くんに見送られながら、私は家路につく。


“浅黄、父ちゃんいなくて寂しいって前に言ってたし”


一人になると幸太くんの言葉がよみがえる。考えれば当たり前の感情だけれど、浅黄が私にそれを言ったことはなかった。
でも幸太くんが聞いたということは、それが浅黄の本音なのだろう。

私には話さない、でも幸太くんには話せる。
それが浅黄にとっての真実だ。どれほど私が浅黄を愛していたとしても、浅黄の一番は私じゃない。


「……父親、かぁ」

こぼした声は自分でもびっくりするほど途方に暮れていた。









 アパートに戻って玄関先で声を張り上げても、誰も出てきやしない。
声のするキッチンを覗くと、馬場くんが浅黄に包丁の使い方を教えこんでいた。


「そう、持っていない方の手は丸くして」

「こう?」

「刃の向きを考えるんだ。押しただけじゃ切れない。引くことで包丁ってのは切れる」

「こ、こう?」

「そうだ。うまいぞ」


オドオドしてはいるけれど、浅黄がちゃんと話していることには驚いた。椅子の上にのって作業している浅黄にはいまいち安定感がないけれど、馬場くんがちゃんと後ろから支えてくれている。

「……いい匂いね。できた?」


声をかけると、ふたりとも今気づいたとでもいうようにふっと表情を緩める。

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