キミが欲しい、とキスが言う
恥ずかしてそっぽをむいたら、頭上でクスリと笑う声がする。
「敬語、やめればいい?」
「そうよ」
「わかった」
何なのこの会話。恥ずかしくなってきた私は、「じゃあ」と自分から会話を終わらせた。でも馬場くんからは返事がこない。返ってきたのは先ほどまでの会話とは全くつながらない言葉。
「……俺、やっぱり茜さんが好きだな」
彼の目は柔らかい弧を描いていて、なぜか私は胸が締め付けられた。
笑顔なのに、見ているだけで切ないような感覚になるのはどうしてなんだろう。
私をとらえて離さない視線に、からめとられたみたいに動けないでただ見つめる。
気恥ずかしいから帰ってほしいのに、名残惜しいような曖昧な気持ちが、私の中で暴れている。
頬が赤くなっている気がして、目を伏せる。
空気の違いを感じてか、馬場くんの顔が少し近づいた。
髪にかかる息、壁についた手に力が込められ、前かがみになる彼。
吸い寄せられるような引力は、私も感じている。彼の男らしい首から肩のラインが目に入って、見ていられなくて目を閉じた。
今、キスをされたら、流されるかもしれない。
「……お母さん、お風呂空いたよ」
背中から聞こえた浅黄の声に、飛び上がるほど驚いた。
馬場くんもすぐに背筋を伸ばし、「浅黄」と小さくつぶやく。
「あ、浅黄。あがったの」
「うん。馬場さん、帰るの」
「ああ、またな」
「さよなら」
馬場くんは、気を取り直したように手を上げるとすぐ出て行ってしまった。
空気の振動だけを感じた唇に手を当てる。
顔の熱さが残っているようで、浅黄の顔をまっすぐ見られなかった。
「お母さん?」
「うん。わ、私もお風呂入るね」
玄関のカギを締め、そそくさと風呂場に向かった。
流されそうになった自分に、心底驚きながら。