ぼくらの奇譚集  1、双葉さんの話
双葉さんの話



 大学のとき、先輩に、双葉さんという人がいた。ソーバさん、ソバさんとよばれていた。
 蕎麦がすきなのかと思っていたが、苗字だった。
 手足がながく、猫背で、やせている。和蕎麦が似合う。焼きそばは食べそうになかった。ソースのような濃いものは、消化しそうにない。
 黒ぶちめがねをかけていて、髪も漆黒。やさしい性格を反映した猫っ毛だった。


 友だちが落語研究会に入ったため、僕もいくようになった。
 そこで知りあったのだ。
 双葉さんは落語を愛していて、いつも部室にいた。
 ふだんは寡黙なのに、高座では人がかわったように話した。何かにとりつかれたみたいに。
 彼は固形物より、アルコールを摂取する。酔ってもまったく変わらない。宴席でみんなが倒れたりして、様態がかわっていくなか、面白そうにそれを眺めていた。
 僕は彼のそういう風情がすきだった。彼もなぜか、僕を気にいってくれた。
「トーマくん、銭湯いかない?」
 二回生の秋。
 夕暮れに、そうさそわれた。
 銭湯か。少しずつ、肌寒くなってきた季節だ。銭湯と秋。どっちも双葉さんににあう。
「銭湯好きなんすか?」
「回数券もらったんだ。彼女に、誕生日にさ」
 わざわざ財布から出してみせてくる。7枚つづり。「彼女」という単語より、「誕生日」のほうがおかしかった。そうだよな、双葉さんにも誕生日はあるんだ。
「彼女いたんすね」
「うん」
 にっと笑った。
 長い首、横に大きな口、糸のような目。高い背、うすい胴……。細長い線で構成された人だ。口をとじて笑うとグッとしわが広がるし、口をあけて笑うと壊れたパペットみたいにぱかっと空間が広がった。


 湯船のなか、好奇心のままに、ききたいことを訊いた。
「双葉さんって、新興宗教の教祖のバイトしてたって噂あるんすけど。本当ですか?」
 彼は噴きだした。「そんな噂あるの?」
「ほかにもありますよ。親が京都の由緒ある占い師だとか、霊能力があるとか、落語にとりつかれてるのは悪魔のしわざだとか、双葉さんに触られると性欲が爆発するとか……」
「よし、触ってやろう」
 エイリアンのような指。
「やめてください、僕、彼女いないんすよ」
「あわれだなぁ」
 ふたりで笑ったが、彼はすぐ笑いやめた。
「でも、どの噂もいい線いってるか。つなげて話してみよう」


< 2 / 5 >

この作品をシェア

pagetop