わたしは元婚約者の弟に恋をしました
「ちょっと待っていて」

 わたしはお弁当の蓋をする。お弁当を机の上に置き、彼のもとへ行った。

 わたしの影が彼にかかるタイミングで、パンを手にしたまま顔をあげた。

「浦川先輩」

「何でこんなところにいるのよ」

「昼食を食べているところ」

 彼は手にしていたパンをわずかに掲げた。

「そんなんじゃ栄養が足りないんじゃないの?」

「でも、このあたりの店は混むし、一人で食べるのもいいかなって思って」

 彼はそういうと、大げさに肩をすくめた。

「先輩はお弁当?」

 「そう」と返事をしてから我に返った。
 わたしには彼と世間話をするよりも、大事な用事があったのだ。

「あなたに傘を返そうと思って持ってきたの」

 わたしは鞄から傘を取りだすと、彼に渡した。
 
 彼はそんなわたしを見て、くすりと笑った。

「わざわざ持ち歩いていたんだ。別に返さなくてもよかったのに」

「そんなわけにはいかない。借りたものは返さないと」

「先輩は本当にまじめだね。風邪、ひかなかった?」

「大丈夫。傘、ありがとうございました」

 わたしは彼に体調を崩さなかったかと聞こうとして、言葉に詰まる。そうわたしは彼の名前をまだ知らないのだ。
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