イヌオトコ@猫少女(仮)
「おう、ゆづ公」


「えっ?」


「ああ、こいつの妹で、ゆづき、いいます」


「いもうと???」


「お、奥さんじゃあ…」


遊月が花瓶を持って立っていた。鳶川の言葉と笑結の姿を見ると、

はっとする。


そういうことか、と大体の状況を察する護浦。


「ごめんなさい!!」


いきなり深々と頭を下げる遊月。

顔を上げると泣き腫らした目で、

「嘘です!嫁なんて!本当にごめんなさい!!」


何度も頭を下げる。


「あの男らも友達で。お兄ちゃんの好きになった女、

試してからじゃないと認めないって。からかってこいって行かせて!

こんなことになるなんて!謝って済むことじゃないですけど、本当にごめんなさい!!」


遊月は高校も中退していた。


今どきの『女子高生』という年頃をよく思っていなかった。


世間知らずでわがままで、
自分のことも考えられないのに、


産んでくれた痛みも、病気や怪我でパニックになりながら、


一喜一憂して育ててくれている大変さも知らないで。



ちょっと可愛いからと、ちやほやされるような小娘に惚れてしまったのか、と。


自分で働くようになって、自分がそういう人間だったこと。


親にさんざん迷惑を掛けたこと。

そんな若者ばかりではないことも分かってきていた。


でも。もしかしたら。


騙されているかもしれないと。


「…なんのことですか?」


笑結の言葉にきょとんとする遊月。


護浦が説明すると、


「…そんな!!笑結さんまで!?頼みの綱だったのに」


愕然とする。


「お兄ちゃん…兄も、意識は戻ったんですけど、打ち所が悪かったみたいで、

怪我は大したことないらしいんですけど、

脱け殻みたいで、もうどうしていいのか……」


はーっと顔を覆い、途方に暮れる。


こんなまともな葦海に戸惑うのは当然か。



落ちた看板は、縦3メートル、横5メートル、30キロもあり、


駐車場からも見える巨大なもので、新しく始めるショーを知らせるためのものだった。



確認している最中に壁にヒビが入り、バランスを崩し、支えることもできず落ちてしまったようだ。


「落ちる衝撃を最低限にしようとして、とっさにダウンの上から

近くにあった幌を被って、

2人から遠ざけようと看板に体当たりして突っ込んでました。」


生きているのが奇跡なほどだ。


「……憎まれ口、叩いてやってくださいよ」


「えっ…」


葦海に近づき、悠が笑結の頭を撫でながら。


「……笑結に、憎まれ口、言ってやってくださいよ。そんな姿、私らも見たくない」



「悠…」


いつも冷静だった。笑結と逢の暴走を止めるのは彼女の役目だ。


「チョロ吉ミケ子って、ぼろかすに言ってやってくださいよ。

関西弁で、あほ、ぼけ、かすって思いっきりもみくちゃにしてやってください。

それがあなたの本来の姿です」



ものすごく落ち着いて能面のように。

改めて言葉にすると何となくえげつない。


そこまでは言っていないが。


「ぼくが??彼女に??憎まれ口?関西弁で??」


こんな可愛い少女に、そんなひどいことを、と赤くなり顔を覆う。


「……ごめん。もうひどいこと、言わないよ。思い出したい。思い出すから」



小学生のように、気を引きたくて、からかっただけなのだけれど、

そんな単純なことも、大人になれば忘れてしまう。


ましてや、まともになってしまった今の葦海にはわかるはずもなかった。


本来の葦海には、恋をしている自覚すらなかったけれど。


「……いや、やっぱり、思い出せなくてもいい」


「えっ…なんで」


悠が驚く。


特別な感情を持ってはいけない相手なのかもしれない、

わざと嫌われ役を買って出たのかもしれない。


と、思い直したのだ。


「ありがとう。僕は、幸せだったんだね」



「……そんな優しいの、せんせいじゃない」


どうしてこんな言葉が出たのか。

覚えていないはずなのに、なんとなく違和感を覚えた笑結。



ふっ、と離れると、


「…さようなら。せんせいのことは忘れます。素敵な思い出を、ありがとうございました」



一筋の涙が、頬を伝う。



にっこりと微笑み、ぺこりとお辞儀した。


べそをかくことはあっても、

こんな表情は、誰の前でも見せたことはなかった。



3本の矢が。


立て続けに。


確実に、葦海に刺さった。



「えっ?えっ??ちょっと!待ってくださいよ!笑結さん!!」


遊月が慌てる。


こんな、よくわからない、まともな兄を見放されては困る。

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