ピュア・ラブ
冷蔵庫にはいっているおせちと鍋にあるお雑煮が頭を過ったが、それは忘れることにする。
おふくろの味は何かと聞かれても、何も浮かばない。それくらいあの母親は料理をしなかった。
父親がいる時は、惣菜を買って、便利な調味料で食事を作ってはいた。しいていうならそれがおふくろの味なのかもしれない。しかし、長い年月夫婦で暮らしていて、買って来たおかずなのか、そうでないのかの区別がつかない父親もまた馬鹿だ。
私は、一人ということもあり、殆どの味付けを自分でしている。そういった「素」はめったに買わない。
腕に自信がある分けじゃないが、パソコンや料理本で料理を勉強して、自分好みの味付けで料理をするようになった。
外食は節約もあり、滅多にしないが、外食もまた料理のレパートリーを増やすのにいい。

「あ~食った」

沢山食べて満足した橘君は、お茶をすすって、お腹を摩った。
なんだかんだ言いながら買ってきたご飯は、全てなくなった。

「コーヒーでも飲む?」
「う~ん、まだいいや」

食後にコーヒーを飲む習慣のある私は、そう聞いたが、今の橘君ではコーヒーもお腹にはいらなさそうだ。
食べ終えた食器を二人でキッチンの流しに入れ、片付ける。

「いいのよ、座ってテレビでも観ていて」

キッチンの隣に立って一緒に手伝おうとしていた橘君をそううながした。

「そんじゃ、お言葉に甘えて」
「どうぞ」

アパートのキッチンは、部屋に向かって背を向けている。
食器を洗っていても、橘君の様子が分からない。

「なんか、エプロン姿がいいね」

背中側から橘君が話し掛けた。
後ろを振り向くと、こたつに横になって肘をついていた。
恥ずかしさのあまり、なにも堪えられず、すぐに食器洗いを再開した。
今でも観ているのかな。嫌だな。そんな背中に緊張をしつつ、いつも以上に出た洗い物を終えた。
ゴム手袋をはずし、冷蔵庫の上に置いてあるハンドクリームを塗り、エプロンを外した。
随分静かだと思って、様子を見ると、橘君は、お腹にモモを乗せてすっかり眠っていた。
モモは私の上にだけ乗ると思っていたのに、ちょっぴりヤキモチを妬く。

「風邪をひいちゃうわ」

ベッドから掛け布団を外して、それをかける。頭には、傍にあったクッションを乗せた。
モモは、布団をかけられてのそのそと出てきたが、また上に乗って丸くなった。
つけていたテレビを消すと、本棚から本を取り出して、読み始める。
部屋は、橘君の寝息が聞こえるだけだ。
ふと橘君の寝顔を見ていたら、なんとも言えない感情が沸き起こった。それがなんなのかわからない。もやもやしたものが心臓の辺りを覆っているようだ。
浮かれてはいけない。この人は同級生なだけで、高校卒業以来あっていなくて、懐かしいだけ。連絡を取らなくなれば疎遠になる。深入りをしてはいけない。
以前の私に戻らなくては。
モモの主治医。それだけ。私にとって必要なのは、モモとお金だけ。それはずっとそうしてきたはずだ。私の人生でいいことなど起こらないのだ。期待をすれば、大きな落とし穴に落ちることになる。そうなれば、私は、這い上がってはこられないだろう。
我に返る様に頬を軽くたたき、本の続きを読み始めた。
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