ピュア・ラブ
『近づきたい僕は、修学旅行を楽しみにしていた』

次のはがきはこう書いてあった。
父親が死んだと聞き、私は、会社に忌引き休暇を申し出た。もちろん、葬式があるのか、いつやるのかなど全く興味はない。もうとっくに葬儀は終えただろう。だが、申請できるのだから使う手はない。
父親なので、一週間の休みが取れた。だが、有給もたまっていた私は、「所用もあるので」と言って、更に一週間の休みを取った。
クリスマスの日、橘君が私に修学旅行で買ったと言って、シーサーのストラップをくれた。
今でもそれは家の鍵についている。

「黒川に見せたい所が沢山あったよ」

そう言った、橘君。私は、思い切って、休みを利用して沖縄に行くことにした。
二泊三日の予定だ。修学旅行は一週間だったけれど、モモもいることだし、そんなには留守に出来ない。
冬のこの時期に沖縄とは、自分でも笑ってしまうが、泳ぐわけでもないので、いいだろう。
ホテルは少しグレードアップして、海が見える部屋を取った。

「モモ、ごめんね。先生の所で泊まってね」

少し心配だが、橘先生のところだから安心だ。
もう、私は、人生に悲観した女じゃない。この沖縄旅行から生まれ変わるのだ。夢を探し、やりたいことを見つける。
きっと、今よりは少しいいことが待っているはずだ。
当然、罵倒してしまった母親の報いは受ける。それも覚悟でああ言った。
あんな両親をもっている子供は世の中に沢山いるだろう。そのかなでも健気に明るく生きている子たちもいるだろう。
そこに私は入れなかった。全て心が弱かったからだ。人と付き合うことを避けたのも、自分にあの両親がいることを知られたくない弱さからだ。私という存在を無視してくれれば、家族のことも気にならないだろうと考えた。
それに、もっと恥ずかしかったのは、いつもちゃんとした服を着せてもらえなかったことだ。子供なりに女だった。
近所のおばさんが、文房具工場で働いていた。そこは、夏祭りで、クレヨン、絵の具、シャープペン、ボールペンといった福袋を配ってくれていた。
その袋を毎年、持って来てくれていた。同じ歳の子供がいたから、私の情況を知っていたのだろう。私は、夏が楽しみだった。
まだ、正月休みにも、冬休みにも、クリスマス期間にもならない時期の沖縄は、旅行代金が安かった。
旅行には何度も行った。狭いと思っていた日本だが、以外と広いとも感じることができた。
朝の飛行機で沖縄に飛ぶ。那覇の空港に着くと、本土よりも当然だけど温かかった。
東京から来ていた服を脱ぎ、トランクにしまう。ゴロゴロとトランクを引き、タクシー乗り場を目指した。
運転免許を取ろう。そうだ、先ず、第一歩はそんな小さなことからでいい。こうやって車なしでは移動ができない沖縄などの土地で旅行をするなら、運転免許は必須だ。
旅行会社で予約した旅行は、那覇から車で一時間ほど離れたリゾート地だ。そこに行くまでは、アメリカ、それも米軍の色濃く、日本ではないような感じを受けた。大きな基地もあり、沖縄の人たちは、こうしたなかでずっと暮らしてきたのだ。
ホテルに着き、フロントで、チェックインの手続をする。
ホテルの正面に入ると、目の前には海が広がっていた。
正面は全部ガラス張りになっていて、海が全面に見渡せた。
一気に開放的な気分になった。
家具も南国ムード漂う籐家具がメインで、貼ってある生地はアロハシャツの模様のようだった。
同じ日本とは思えない雰囲気に、パスポートが無くても海外に来たと思わせる場所だ。
修学旅行で来ていたら、こんな観察眼や感覚もなく、友達とワイワイ騒いでいただけだったかもしれない。大人の今、こうして沖縄に来ることが良かったのかもしれない。
ロビーには、ぽつぽつと旅行者もいたが、コーヒーを飲みながら本を読んでいる人、これから帰る人と色々だった。
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