ピュア・ラブ
何となく暗い気分でアパートに帰ると、更に気分が悪くなった。
アパートの前に、厄病神一号の車が停まっていたのだ。
そこからは、私の全身が硬直する。そして、自分に言い聞かせるのだ。
何があっても目をそらさず、体全身で受け止める。そして、けして、怖がって避けたりしないこと。
それは、すぐに手を挙げる父親に対する、私の反抗だ。
視線を合さずに、アパートの自転車置き場に自転車を止める。
すると、車のドアを閉める音が聞こえ、私の名前を呼んだ。

「茜」

その呼びかけに私は、立ち止まった。

「なんだ、どこに行ってたんだ? 母さんから聞いたが、猫を飼い始めたんだって? 全く金食い虫なんか飼いやがって」
「あなたに関係ない事よ」
「なに!?」

やはり、短気な父親は、拳を作って腕を振りあげた。一瞬体が硬直するが、ここはがんばり所だ。父親に分からない程度の震えが足元に来ている。だが、大丈夫だ。
私は、もう子供じゃない。それに私には、厄病神に迎え撃つ刃を持っている。

「いつまで暴力を振るうつもり? お金が欲しくないの? その手を下げなさい」

私は、少々ドスを効かせた低い声でそう言った。自分でもそんな目つきが出来るのだと不思議な程、きつく見返した。

「あ、いや、ここの所天気が悪くてなあ、水揚げが悪かったんだ」

ああ、夏特有のゲリラ豪雨や台風ね。この夏は、どれくらい仕事にでたのだろう。どうせ休んでばかりで給料がないのだろう。天気が悪い日は仕事に出ない、だらしのない人だ。
私は、財布から、一万円を二枚取出し、道路に置くと、それを足で踏んだ。

「どうぞ」
「あ? ああ、ありがとう、悪いなあ」

そう言うと、馬鹿な父親は、跪いて私の足の下にある札を両手で丁寧に引っ張った。
ざまあみろ。私は、もう既に両親に対して、感情も何もない。血も涙もない冷血漢となっている。そんな姿を見ようとも、高笑いしか出ない。
私という人間をどう言ってくれても構わない。育った境遇を経験すれば、きれいごとを並べる人間も、きっと、同じことを思うに違いない。こんな両親でも健気に生きている人間はマンガやドラマの中だけだ。
私は、この男のサンドバック代わりだった。

「ねえ、あなたを殴らせてくれたらもっとお金を挙げてもいいのに」
「茜……それは、その……」
「自分の身体を使って稼いだら?」

私は、自分でもぞっとするような事を言っていると思った。
父親は、自分がしてきたことを少しは悪いと思っているのだろうか、私が言い放った言葉に愕然とした顔を一瞬のぞかせた。
静かに、怒らせないように暮らしていれば、「辛気臭い」と殴り、ご飯を食べていれば、「ただ飯ぐらい」と殴られた。
私は、何度も、大好きだった祖母の墓に行き、迎えに来て欲しいと泣いたことか。
あの優しく、慈愛に満ちた祖母から、どうして、悪魔のような母親が生まれ、育ったのか、私の七不思議の一つだ。

「さっさと消えて、目障りだから」
「ああ、悪かったな、じゃあな、ありがとな」

腰を低くして、金を両手で頭の上に挙げ、私に礼を言う。顔も見たくないが、なんと気持ちがいいことか。
こんなに気分が悪くても、帰れば玄関に迎えに来てくれるモモが今日はいない。
この気分を酒で紛らわしたいが、昼から、モモの手術だ。そんなことは出来ない。
アパートに入ると、鍵を閉め、チェーンをかける。
私は、いつもの場所にモモのカゴを置くと、テーブルに座り、パソコンを開いた。
いつも必ずチェックするのは、投資情報だ。
社員であっても、工場で働く私の給料はたかが知れている。それに、給料日を知っている厄病神は、交代で金をせびりに来る。ボーナスには手を付けない。それだけは私の信念だ。
そうしなければ、一人で生きている私には、支えになってくれる安心材料がない。
それに、今は、モモがいる。モモも為にも貯金を始めた。毎月決まった金額を貯金している。保険の効かない動物の病気。それに対応するためだ。
親に金を渡せば、私も生活が苦しくなる。
私は、経済学を学んだ。だが、こうした投資は、大学の勉強位ではどうにもならない。金は毎日動く化け物だ。投資雑誌を買い、ひたすら勉強した。
損の連続だった。自分に無理のない金額で投資を始め、やっとここの所、損から脱却した。
投資をすることによって目標が出来た。
それは、「家」を買う事だ。
そして、あの両親と絶縁をする。夫婦のように離婚して、戸籍から離れることができない親子関係。それは仕方がない。だが、連絡を一切断ち切ることは可能だ。
私は、父親が年齢的にもう仕事が出来なくなる時に、絶縁をするつもりだ。それが私の復習だ。
怖い女だと思う。中にはいるだろう、「どんな事があっても親なんだから、話せばわかる」という偽善者が。
そんな生優しい物じゃない。私は、高校卒業までにかかった費用を算出した。
碌に食事も作って貰えなかったが、材料はあった。それを食べていたのは確かな事だ。
給食費、積立と小学校から、中学校までどれくらいかかったのかと、大体だが、調べて計算した。
一番高かったのは制服代だったが、それは買って貰えたので、一応感謝する。
高校では、一切学業に関係する費用を貰っていなかったし、逆に、バイト代を渡していた。
お小遣い帳はつけてある。いくら渡したのかもしっかり記載してある。
どんなことがあっても戦える。恐喝だと訴えたっていい。今の私にはそれだけの知恵と力があった。
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