母と妻と女の狭間で・・・ 留学時代編
 私の性格を一言で言うと

負けず嫌い

 とにかく、負けるのは嫌
反則でも勝てればいいとは言わないけど、
負けるのは嫌なの

 だから、勉強はお父さんに
無理やりやらされてた感じだけど、
1番になるのは、楽しかった。

 中学に入って初めのうちは
それほど、一生懸命にやらなくても
簡単に1番がとれたけど、
高校受験が近づいてくると、
だんだん一番が取れなくなってきた。

 そう、まわりも必死になってきたから。
もちろん、1番が取れないと
お父さんも怒るし、ほんとに辛かった。

 だから、高校の志望校は、お父さんに内緒で
ランクを落として、一番の成績で入ったの。

 だって、あまりにお父さんがうるさくて
うんざりしてたから。
ちょっとでも”楽[らく]したいな~”って。

 おかげで、しばらくは何もしないで
学年一位をキープできてた。

 その間はお父さんも、何も言わなくて、
ちょっと平和。

 でも、何もしなくてもトップだもん、
勉強の代わりに、必死でバイトした。

 その時はバブルだったから、
高校生でもけっこう稼げて
週末はいつもクラブ通いしてた。

 あまりに遊びすぎて、
2年の終わりになる頃は最下位近くに転落。

 その頃になるとお父さんも
すっかり私のことを信用してて
いちいちチェックしなくなってたから良かったけど、
最下位近くなんてバレるのがすっごく怖かったから、
このままじゃまずい!と思って、真剣に考えた。

 そしたら、小さい頃からの夢を"ふっ"と思い出した。
そうだ、アメリカに行こう! って。

 偶然とはいえ、私の誕生日がアメリカの独立記念日。
これは、きっと運命なんだわ!

 でも、アメリカ留学は、小さい頃からの夢だったけど
うちには留学するお金があるわけなかったから、
無理だと思ってたから、諦めてた。

 それでも、いまお父さんから離れるためには、
アメリカ留学しかない!

 そう思って、クラブ通いをかなり控えて
アメリカ留学資金を貯め始めた。

 それで、3年になって進路相談に親と言った時に初めて
アメリカへ留学します!って、宣言した。

 これには、お母さんも先生もほんと驚いたみたいで
ずいぶん反対されたけど、すでに貯金を始めたことや
留学のための細々した手続きなんかをちゃんと調べて
無理やり押し切ったの。
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