お願いだから、つかまえて
「『あ、理紗、お友達』?」
香苗が怜士くんの台詞をそのまま繰り返す。
あ、えーと。
「かな…」
口を開いた私を手で制して、香苗はほとんど睨むようにして佐々木くんを見上げた。
「佐々木くん。まさかとは思うけど。あたしの名前、まだ覚えてない?」
え。そこ?
「………山園さんと、ご結婚された…」
「あたしの、名前。」
「…………」
…怜士くん。
嘘でしょ?
「香苗よ! 仲山改め山園香苗よ! 理紗と付き合ってるのね?! 付き合うことにしたのね?! それなら漏れなくあたしとの付き合いも付いてくんのよ! 名前くらい覚えなさいよ!! どんだけあんたの頭の中には理紗しかいないのよ!!」
「か、香苗、とりあえず、入って…」
「あんたもねえ、理紗! こっちがどれだけ心配したと思ってんのよ! うまくいったなら連絡くらい寄越しなさいよ!」
「いや、本当に色々ありまして…会ってゆっくり話そうと…」
嘘は言っていないはずなのに、香苗の剣幕を前にすると、なんとなく言い訳がましい響きがした。
ずかずかと入り込んでくる香苗の後ろでドアを閉めながら、香苗さん、香苗さん…と、怜士くんが口の中で復唱している。
香苗の顔を見たら。
お祖母ちゃんが倒れて、修吾と別れて、怜士くんと付き合い始めて。
どこか非日常に感じられた、地に足がつききらないような、この怒涛の一週間が、ふっ…と。
現実に落とし込まれたような、長い旅から帰ってきたような、不思議な感覚に襲われた。