婚約はとろけるような嘘と一緒に
**嘘のおわり**
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「ひより」
私と高見さんの関係は、友人とも恋人とも言い切れない微妙なもの。
だから名前で呼ばれた途端私の胸は甘く震えた。他人行儀な敬称を付けずに高見さんが私のことを呼んでくれたのはこれが初めてのことだった。
(ただの気まぐれ?それとも私との関係を変えようという意思表示?)
私の鼓動は急に駆け足になっていく。いつの間にか高見さんは、名前の呼び方ひとつで私の心を揺らしてしまうような存在になっていた。でも私はまだ高見さんの気持ちを知らないし、私の気持ちもまだ高見さんに伝えていない。
仕事の帰りに会ったり、休日に一緒にごはんに行ったり、ドライブに誘ってもらったり、緑地公園をあてもなく歩いたり。そんな時間を重ねているけれど、最初に決めた約束は破られることがなく、私たちはキスどころか手を繋いだことすらないままだった。
高見さんと一緒に過ごす時間は心地よくて、いつも別れるときは名残り惜しくなってしまうほどあっという間に過ぎてしまうけど、高見さんがこの関係をどうするつもりなのかは、本心を窺わせない彼の穏やかな笑顔と同じくらい読めないままだった。
「ひよりは本当にいいのか」
「いいって、何がですか?……もしかして今日高見さんのお部屋にお邪魔させてもらうの、やっぱりダメなんですか?」
高見さんの部屋で高見さんのためだけに珈琲を淹れることが出来ると思っていた私は、思わず肩を落とす。だってそれは私が唯一高見さんに楽しんでもらえる、私の唯一の特技だから。
残念な思いを隠せずに高見さんを見つめると、高見さんはいつもポーカーフェイスな彼らしくもなく、なぜか一瞬息を詰まらせたように眉を顰めた。
「…………そんな顔するなんて、君は困った子だな」
「困った子って……ひどい。またいつもの子供扱いですか?」
責めるように言うと、苦笑の後で高見さんは思いもしなかったことを言い出す。
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