婚約はとろけるような嘘と一緒に
降って湧いたお見合い話
◆金平糖ひと粒◆
2 ◆ 金平糖ひと粒
(そういえば最近ひばり舎に行ってないな)
理人がミツミ飲料という大事なクライアントの、それも社長の三美氏と対面中だというのに唐突にそんなことを考えてしまったのは、目の前に珈琲を出されたからだ。
上品な白磁のカップに淹れられたそれを三美氏との会話の合間に有難く頂戴したものの、一口飲むなり手が止まってしまった。なぜか今口に含んだものが珈琲だと思えなかったのだ。味も香りも物足らず、香港で珈琲を騙った粗悪品を飲んだときのように舌が違和感を訴えてくる。
三美氏の秘書がそんな不味い珈琲を淹れるわけがないのに。
(………ああ、そうか。俺はきっとひばり舎で極上の一杯を当たり前のように飲んでいたから、いつの間にか舌が贅沢を覚えてしまったんだろうな)
自分よりずっと年上の三美社長の秘書長がわざわざ運んで来たものだから、残すのも忍びなくて再び口を付ける。けれどもやはり珈琲特有の、苦味の奥に息を顰めているあの官能的な甘さが感じられない。舌先に残るのは後を引く苦味だけだ。
(あの店の味じゃないと満足出来ないなんて、俺の舌も厄介な贅沢を覚えたもんだ。……仕事もひと段落したところだし、今日は久し振りにその贅沢でも味わってくるか)
そんなことを考えるけれど、理人の脳裏に真っ先に思い浮かんだのはひばり舎の店構えでも、そこで提供される美味い珈琲でも、それを淹れる麗しの女マスターでもなかった。
(………まいったな。俺はいよいよまずいところまで来ているんじゃないのか……?)
脳裏に明確な線で描かれた看板娘の姿を無理やり打ち消そうとしているうちに、ふと先月ひばり舎に行ったときのことを思い出す。