婚約はとろけるような嘘と一緒に
「タカミさん、今日はまだご注文されてないみたいですけど、何かお飲みになりますか?」
他の席のお客様たちのオーダーが済んでいることを確認した後、タカミさんにそう尋ねる。するとタカミさんではなく、その隣に座っていた近所の青果店のご主人である山田さんが、私を見てにやりと意味ありげに笑いだす。
「この高見くんはさ、ひよ子ちゃんが出勤してくるのを待ってたんだぜ」
「………えっ?!」
「ちょっと前に来たんだけど、さっきからぼおっと座ったままでさ。そういやもうそろそろひよ子ちゃんが来る頃かって、俺も一緒に待ってたとこよ」
「本当ですか?」
思わずタカミさんの顔をじいっと見ると、タカミさんは曖昧に笑いながら「まあそんなところだよ」と控えめに答えた。
すぐにはお客様と打ち解けることが出来ない私だけど、贔屓にしてくださるお客様がいるということはとてもうれしいことだ。まだ営業中は珈琲を淹れるどころか触れることも出来ない見習いだけど、こういうときに今の仕事のやりがいを感じることが出来る。
今日もひばり舎に来られてよかった。そんなことを思うと、自然に顔は綻んでいく。
「よかったな、高見くん。ひよ子ちゃんに会えてさ。今日は特にお待ちかねだったみたいだからなあ?」
「そうなんですか?すごくうれしいです!」
自分の接客を褒めてもらえた気分でにやにやしていると、なぜか山田さんはそんな私とタカミさんとを見比べて、すこし残念そうに苦笑する。
「………あらら。ひよ子ちゃんってば、子犬が懐くみたいな喜び方しちゃって……。いい子だけど、まだちいっと色気が足らんかもなぁ」
「山田さん?それなんの話なんですかっ」
「いやいや、こっちの話だから気にしないで。高見くん、こいつはちょっと手強いかもなぁ?」
山田さんにそう話し掛けられたタカミさんは、さっきから口を閉ざしたまま困ったような表情をしている。もしかしたら私ははしゃぎすぎてしまっていたのかもしれない。
「私もタカミさんに久しぶりにお会い出来てうれしかったんですけど……ごめんなさい、ちょっと調子に乗っちゃいました。それでオーダー、今日はどうなさいますか?」
私が本来の店員としての立ち位置に戻ろうとすると、なぜか山田さんがひどくおかしそうに肩を揺らして笑い出す。
「………さっきからなんなんですか、山田さん」
めずらしくすこし不機嫌そうな声でタカミさんは言うけれど、それもまたおかしいのか山田さんの笑いが深くなる。