婚約はとろけるような嘘と一緒に

「いやいや、何も知らないヒヨコっていうのも厄介なモンなんだなぁと思っただけだよ。お、そうだ。どうせなら今日は高見くん、涼子ちゃんじゃなくてひよ子ちゃんに珈琲淹れてもらったらいいんじゃない?」
「えっ」

山田さんの提案に私は絶句してしまうけど、タカミさんは何やら思案顔で呟いた。

「…………そうか。それもいいかもしれない」

今度こそ私は何も言えなくなってしまう。

「いや、涼子さんの珈琲も最高なんだけど、今日はいつもと違った感性の珈琲を飲みたくて。君に淹れてもらうのはダメかな?」
「え、でも……」

思いがけない提案に、なんでか私の耳はじわじわ熱くなっていた。

「私、今はまだただのウェイトレスですし……涼子さんと比べたら……いえ、比べるのもおこがましいくらいのど素人で、そんなお客様に淹れるだなんて……」
「でも閉店後に涼子さんに指導してもらっているんだろう?今日は君の淹れた珈琲を飲んでみたいけど、ダメかな」

タカミさんに珈琲を乞われたことが、自分でもどうしてかわからないほどうれしくてドキドキしてくる。そのうちにうれしさの余りに恥ずかしくなってくる。

でも感激してしまった私を他所に外野にいたお客さんたちが次々に心のないことを言ってきた。


「ひよちゃんの珈琲かぁ。ひばり舎に来てわざわざ涼子さん以外の珈琲頼もうとするなんて、高見くんも物好きだなぁ」
「まあでも俺は気持ちは分かるわ。涼子さんのあまりに完成度の高い極上の一杯ばかりを飲んでいると、たまに素人臭い珈琲が飲みたくなるんだよねぇ」
「わかるわかる。他所で安い珈琲飲んだ後に頂く涼子さんの珈琲の、美味いこと美味いこと。比較対象があるとうまさの再確認出来るんだよな」
「そうそう、舌が贅沢に慣れ過ぎちゃうと馬鹿になるから、たまに劣化版珈琲でショック与えるのが涼子さんの珈琲をよりおいしく飲む秘訣だよな」


みんな私の心を折ろうとしているわけではなく、半分冗談で言っているのはわかる。それでもここまで言いたい放題いわれると、自分がいちばん涼子さんとの腕の差を自覚している分、胸にグサリとくる。

「安藤さんもタキさんも白扇堂のご主人も、飲む前から私の珈琲が死ぬほど不味いって決めつけなくてもいいじゃないですか。ひどいです!」
「はは、涼子ちゃんが手塩にかけて夜な夜な仕込んでやってるひよ子が、心臓が止まるほど不味い珈琲を淹れるだなんて思ってないよ」
「けど涼子さんの一杯に追いつくまでには、そりゃ相当の修行が必要だろうよ」
「言えてら。けど高見くんがそこまでして飲みたいっていうなら飲ませてやりゃあいいじゃねぇか。なあ、涼子さん?」

話を振られた涼子さんはただ一言。

「ダメです」

お客さんたちが呆気にとられるくらい不愛想にそう言い放った。


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