婚約はとろけるような嘘と一緒に

「大丈夫?寒くはない?」

タカミさんはやっぱり紳士なようで、さっそく私を気遣う言葉を掛けてくれる。

「私は全然大丈夫ですよ。それよりタカミさん、お疲れみたいですけど……お仕事大変なんですか?」

2人きりだという状況のおかげで、さっきみたいにプライベートに踏み込んでいいのかとあれこれ考えることもなく自然とそんな言葉が出てくる。するとタカミさんはいたずらっぽく唇を吊り上げて答えた。

「いや、お客さんにいたずらで外に締め出されてしまった君ほどではないよ」

その言葉に私がちいさく笑うと、高見さんは目元をやさしく緩ませて言った。

「仕事はね、まあ大変と言えば大変だけど順調ではあるかな」
「そういえばタカミさんは土日がお休みなんですか?」
「基本はね。でもここ半年は土曜が全休になったことは数えるほどだな。日曜が仕事になることもよくあるしね」
「………大変なんですね」
「それはどうなんだろうな?たまには長期休暇でも取りたいところだけど、残念ながら忙しい時の方がパフォーマンスが上がる性質でね。ゆっくり休んでないで馬車馬にでもなっている方が向いてるようなんだ」
「そうなんですか。でもご立派ですね」

もっと気の利いた労いの言葉を言いたいのに月並みな言葉しか出てこない。タカミさんは苦笑する。

「ただの要領の悪い仕事馬鹿だから、無理に褒めてくれなくてもいいよ?」
「…………あ、いえ、お世辞じゃなくて………」

つまらない話相手だと思われたかもしれないという焦りで、私はつい余計なことを言ってしまう。

「その、私、父がすっごく過保護で。進学する高校も大学も、それに習い事も部活も……今までずっと私のことは私自身じゃなくて全部父が決めてたんです。……私、自分の意志を貫いて選んだことなんて何一つなかったから、お仕事に信念とか誇りとか持てる方が羨ましくて………タカミさんのこと、ほんとに立派な方だなって思ったんです」


私が家で望まれているのはいつもニコニコしていて機嫌のいい、聞き分けのいい娘だ。反抗するほどの意志も信念もなかった私は、お父さんへの不満はお父さん本人にはもちろんのこと、お母さんにだって言えたことはなく、今まで家でも学校でもどこででも父の“従順な娘”でいることしか出来なかった。

吐き出せずにいた不満やぶつけ損ねた反抗心は、これからもひっそりと自分の中に抱えていくしかないって思っていたのに、なんでここで高見さんに話してしまったのか分からない。

思春期みたいなことを口走ってしまったことがじわじわ恥ずかしくなって、私はタカミさんの顔を見られなくなってしまった。


「…………あの、ごめんなさい。こんな話、忘れてください」
「いや、今の話を聞いて一つ腑に落ちたよ」
「え?」
「君のことが気になっていたのは、俺は君に自分と似たところを感じていたからなのかもしれないな」


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