婚約はとろけるような嘘と一緒に
◆甘い花と桃と◆
2 - 3 ◆ 甘い花と桃と
『自分が多くを手にした分だけ、いつかそれを失うことが怖くなる』
仕事をしている人間なら、誰しも大なり小なり失敗や転落への恐れは抱いているものだろうが、なんでよりにもよって彼女の前であんな情けない泣き言を言ってしまったのだろう。そんな後悔が昨晩からずっと理人の頭から離れない。
起業して以来不安を抱えているというのはまぎれもない本音ではあったけれど、昨日のあれは聞かされる方からすれば悲劇ぶって自分に酔っている人間の言葉にしか思えないはずだ。
(例え酔っていても、今まであんなことを人前で言ったことなんてなかったのにな……)
我ながら無様な醜態を晒したものだと、何度目とも分からない後悔とともに深いため息がこぼれる。あれは自分よりもずっと年下の女の子にいい歳の男が言うことじゃないと、昨晩のことを思い出すだけで羞恥でめまいがしそうだった。
これで話を聞いたのが宇田川や長年付き合いのある友人なら、きっと理人の弱音を茶化すなり喝を入れるなりしていたはずだ。けれど彼女は“店員”としての立場を弁えていたためか、話の合間に相槌を打つくらいで言葉を挟まずにいた。
そしてただただ自分の泣き言に、静かに耳を傾けてくれていた。
(………結局俺はあのとき、自分の中に鬱屈していた不安を彼女に吐露するのが、たまらなく心地よくなっていたんだろうな)
情けないところを見せてしまったと強烈に後悔している反面、その情けない部分を晒した相手が彼女であったことにひどく満ち足りてしまっている自分がいる。彼女に気遣いに満ちた目を向けてもらえたことに、昨日の自分はホットミルク以上の癒しを感じていた。
(でもおっさんの愚痴なんて、聞かされた方はたまったもんじゃないよな)
同情を買うようなことを喋って女の子の気を引こうとしたことなんて、今までなかった。むしろいつも付き合う相手にすら隙を見せるのが悔しくて、心身が弱っているときもそれを認めることが出来ずにいたのに、昨日は弱音を吐くことを止めることができなかった。
つまりは彼女に本音を打ち明けることに気持ちよさを覚えてしまっていたのだろう。そんな一方的な行為でこちらがますます彼女に親近感を覚えても、彼女は自分のことなどただの客にしか思っていないだろうに。いや、それどころか迷惑な客だと思ったかもしれないのに。
「気持ちのいいことを我慢するのは難しいものだな………」
自虐してるつもりなのに、それでも口元は勝手に緩んでいく。
このままではあの心地よさがクセになって、また何かにつけて彼女に無様なところを晒しに行ってしまいそうだ。泣き言ばかりのみっともない大人だとは思われたくないはずなのに、その反面、彼女にだけそんな自分を受け止めてもらいたがっている自分がいる。
(あの子は俺よりずっと年下の子なのにな………マズいところまで来ているどころか、もう既に重症なんじゃないのか……?)