婚約はとろけるような嘘と一緒に
「おいおい、高見所長。『気持ちよくてガマン出来ない』って、おまえこの爽やかな土曜の昼下がりにいきなり下ネタか?」
理人の漏らしたちいさな呟きを耳聡く聞き留めたらしく、正面に座っていた副所長の宇田川が茶化してくる。宇田川は理人を揶揄う気が満々で、仕事中であるというのに顔はニヤニヤと笑み崩れていた。
美大出身で広告代理店でデザイナーとして働いていた経験もあるこの宇田川は、デザインとは無関係の学部出身で絵心のない理人にとっては誰よりも頼りになる仲間であり、自分の頭の中にある発想を目に見えるデザインとして起こしてくれる、なくてはならない相棒だ。
高校以来の友人でもあるこの宇田川は仕事運びに間違いのない男ではあるけれど、自分のことは話したがらないくせにやたらと人の恋愛話に首を突っ込みたがる困った一面があった。今も興味津々という目をしてこちらを見てくる。
「高見、おまえさ、今朝はやたらと頭の上に花飛ばしてるけど、昨日はどんなイイことがあったんだよ」
「花?」
「ああ、おまえの周りに花が咲いてるよ。それも薔薇とか百合なんかの大輪の花じゃなくて、もっと初々しいハゴロモジャスミンみたいなヤツ。可愛い花が鈴生りになっておまえの頭上で甘い匂いを撒き散らしてる。それが俺の目にははっきりと見えるね」
「………おまえの言うことはいつも意味が分からないな」
軽くあしらおうにも、宇田川は簡単に引き下がってくれるような男ではなく。
「女だろ」
ずばり言い当ててくる。
「だったらなんだ?」
「お、不機嫌な顔。なんか探られたら後ろめたいことでもあるわけ?ああ、もしかして昨日は風俗にでも行って溜まりに溜まってたモノすっきりしてきたとか?それで今朝からずっと頭ふわふわ浮いてるようなしあわせそうな顔してたのか?」
否定をする前に斜め前に座っている所員の今井と武田の20代コンビが、厄介なことに話に食いついてきた。
「え、所長ってキャバクラすら接待じゃなきゃ行かないし、風俗なんてもってのほかって感じじゃなかったんですか?」
「高見所長が宗旨替えするほどのすごい風俗嬢がいるってなら、どんなサービスを受けられるのか興味ありますね」
「俺だって気になりますよ、行きつけの店があるならどうかお供させてください」
宇田川にのせられて悪ノリすることもある若者二人を冷ややかな一瞥で黙らせると、今度はこの事務所の紅一点、佐千代さんが最近買い替えたばかりだと言う遠近両用の眼鏡を掛け直しながら不愉快そうに目を眇める。
「今井くんも武田くんも、まだまだお尻の青い子供が下らないこと言ってるんじゃないの。だいたい女を買うの買わないのは職場でする話じゃないよ」
御年56歳、彼らの母親と同年代の佐千代さんにそう言われると返す言葉もないらしく、若者二人は大人しく下を向く。でもそんな彼らに代わって今度は佐千代さんが聞いてきた。
「でも所長、何かいいことあったのは本当なんでしょう?最近なんだか雰囲気変わられましたものね?」