婚約はとろけるような嘘と一緒に
「なに?理人くんは和食は嫌いだったか?」
「いえいえ、そういうことではなく。……不肖の弟はこうして挨拶をさせていただくことすら忘れて、ひよりさんのうつくしさにすっかり心を奪われて見惚れてしまっているようですから。しばらくは食欲を感じることも出来ないでしょう、という意味です」
「ははは、そうかそうか。うちの娘の良さに一目で気付いてくれるとは、やっぱり理人くんは私が見込んだ男なだけあるな」
あきらかな透馬さんのお世辞に、父は満足そうに声を上げて笑う。それから「先に席を見てくる」と訳のわからない理由をつけて、透馬さんと連れだって『浅藤』に向かってしまった。
その場に取り残された私とリヒトさんの間に気まずい沈黙が下りる。
「………あの……私たちも12階に向かいましょうか……?」
あまりにも長く黙り込んでいるので、こちらからそう振ってみると、またもや私に向けられる視線が強くなる。
「君が、ひよりさん…………?」
「………はい?」
ああ、もしかしてご挨拶が足らなかったのだろうか。
「えと……私、透馬さんとは度々お会いすることがあって、弟さんがいらっしゃることは伺っておりました。こうしてリヒトさんにお目にかかるのははじめてですね」
「………………はじめて?」
声が一段低くなった気がして、「失礼しました、私の思い違いでしたか?」と聞く声がわずかに震えた。会食をする前からなんだかリヒトさんは不機嫌そうな様子。
やっぱりこんなちんちくりんな私が出てきてがっかりしているんだろうなと思うと悲しいけれど、それならそれで好都合だと思い切って持ち掛けた。
「今日の話はたぶんうちの父が強引に持ちかけたもので、ご迷惑なさっていますよね……?その、なんと言うか……どうかお構いなく、この話は破談にしてください。私が言うよりもリヒトさんから話を通した方が父も納得してくれると思います」
「つまりは君がこの縁談はなかったことにしたいと思っているわけだ」
「はい」と返答をし損なったのは、思いもしなかったほどリヒトさんが刺々しい口調だったからだ。
「そんなところに担ぎ出されたなんて、とんだ茶番だな」
「…………申し訳ありません」