熱愛には程遠い、けど。
 宮下さんの指示で、私は過去の古い書類が保管されている資料室にきていた。
 資料室は四人掛けテーブルが置かれた作業スペースと、図書館のように本棚が並びびっしりと書類や書物が保管されている保存スペースに分かれている。私が今立っている場所は自分の背のより高い本棚が並んでいるため電気をつけていても薄暗く、サイドを本棚に挟まれた通路は人ひとりとギリギリすれ違えるくらいの狭い場所だった。
「えっと……平成十八年度から……」
 目的の資料に向かって伸ばした手がそのまま止まる。
 今だかすかに残る胸の高鳴り。この気持ちがどういうものか、今年二十五になる私には当然分かる。
 でも、ナイでしょ……
 だってついこの間まで宮下さんはただの良い職場の上司で、私は大好きな恋人との結婚を決意……
 思ってみれば、自分の意志だけで決意をしたことはなかったように思う。決意したのは一度だけ、あの時は宮下さんに背中を押されて結婚しようって決めて、でも結局……
 行き場を失った手がブランと下に落ちた時だった。
「杏奈」
 よく知る声に呼ばれて振り向くと、開いたドアから雅史さんが入ってきた。
「雅史さん!?」
「ここに入っていくところを偶然見かけて。作業中?」
「う、うん……」
 部屋の中へと足を進めてきた雅史さんが私の隣に立つ。
「この間はごめんな。誘ってくれたのに」
「ううん。仕事だもん、仕方ないよ」
「近々会えない? この間妹がウチにきてさ。杏奈の話したら会いたいって言ってて……」
「妹さんって、たしか結婚して海外に住んでるっていう……」
「そうそう。二週間くらいこっちにいるからそれくらいだったらって、今ウチにいるんだよ」
 もしかして、この間一緒にいた女性って……
「あの、雅史さん……私、言わなきゃいけないことがあって……その。結婚のことなんだけど……」
 まだしっかりとした気持ちの整理が出来ていないけど、こんなうやむやな気持ちの状態でプロポーズを受けることなんて到底出来ないことは確か。
「ストップ」
「え……?」
「すぐに答えが出来ない時点で予想はしてた。いいよ、今すぐにじゃなくても。指輪はいつかその時がくるまで杏奈が持っててよ」
「それは……。あの……あのね。雅史さん、私、私ね……!」
 胸の鼓動が一気に高まる。私今、何を言おうとしてるの……?
「私、他に好きな人が――」
 雅史さんをまっすぐに見上げて、自然と自分の口から出てくるその言葉を告げようとしたその時。
「おーい! 古川さーん」
 再び聞き覚えのある雅史さんとは別の声がして扉の方へと目を向けた。中に入ってきたのは宮下さんだった。
「ごめん、一つ言い忘れていたことがあって……ん?」
 宮下さんが、私と、私と一緒にいる雅史さんの存在に気づいて言葉を止める。
「宮下さ……」
 宮下さん、そう彼の名前を呼ぼうとする私の声とぴったりと重なったのは、
「宮下?」
 同じように彼の名を呼ぶ雅史さんの声だった。
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