Beautiful Life ?
「あ、そうそう。明日の観光で地下鉄の乗り換えについて教えてほしいところがあるんだけど……」

 しばらく互いには他愛のない会話をして過ごした。観光の話を中心に、絵里が残された滞在期間に行きたい場所についてや、辻合のオススメの場所などを話しているうちに時間は進む。そして時間と一緒に進むのは酒だ。酒がまわるにつれて口数も増え声のトーンも上がる。楽しい会話はあっという間に二人を打ち解け合わせる。話はいったん途切れたが、そのままの高揚した気持ちに押されて絵里は大胆な質問をした。

「ねぇ、今でも奥さん一筋って本当?」

 そう告げると、辻合はにこっと口角を上げて絵里と目を合わせた。

「誰がそんなことを……って。リアしかいないか」
「うん」
「今でも妻を愛しているのは本当だけど」
「けど?」

 辻合は一つ間をおいてから口を開いた。

「時間が経つにつれて彼女の声も、料理の味も、たくさんの思い出も、顔も。そのすべてが薄れてきてるんだ。それに」
「それに?」
「俺も男だからね。女を前にしてやましい気持ちを持ったことがないかと言うと嘘になる」
「欲求には素直に従うべきよ」

 目を合わせ、相手に酒がまわっているのは互いに見て分かった。それが互いをさらに大胆な気持ちにさせる。

「誘っているようにしか聞こえないな」
「えぇ、そうね」 
「酔ってるな」
「ふふ、そうね」

 絵里は微笑みながら残り僅かグラスに残った酒を飲み干す。酔っているのは本当だ。でも理性を失い正しい判断が出来なくなるほど酔ってはいなかった。
 ただ、酔ったふりをしていた。そうでもしなければ色々な思惑が邪魔して自分の気持ちに正直な言動を取ることができなかったのだ。

「そういえば、初対面の時君は裸だったっけ」
「忘れられないでしょ」
「あぁ」

 酔って微かに潤んだ瞳と火照った表情の今の絵里は明るく健康的な彼女のイメージを覆して色気がある。欲求に従って手を伸ばすのは簡単だ。だが辻合も絵里と同じでリアのこと、亡くなった妻のこと、そしてエリへのまだはっきりしない不確かな気持ちが心の隅でくすぶる。
 絵里はそんな辻合の心情を簡単に見抜いてしまう。自分も同じだからだ。結婚生活に失望し離婚したばかりの自分、そして異国の地で出会った大切な友人の父親。互いに心の隅に無視できない事情を抱えながら、酔いに任せて簡単に手を伸ばせるわけがなかった。

「あなたこそ酔ってるの?」
「あぁ、酔ってるかもしれないな。こんな会話、リアに聞かれたら口を聞いてもらえなくなる」

 互いに小さく微笑むと辻合の方から「そろそろ寝よう」と口に出した。「そうね。おやすみなさい」とすんなり聞き入れた絵里だったが、後ろ髪を引かれる思いでその場を立ち去った。

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