あなたのヒロインではないけれど
真湖ももちろんだけど、私も。氷上さんが何を言ったのかが咄嗟には理解できなかった。
「あ、申し遅れました。私はSS社の中部本社営業本部営業一課の氷上 貴明(ひかみ たかあき)と言います。以後、お見知りおきください」
氷上さんは革張りのバッグから小さなケースを出すと、私と真湖に名刺を渡してきた。
(たかあき……さん)
小さく、小さく口の中でだけ呼んでみた。
皐月先輩の名前は、たかあき……だった。どんな字を書いたかまでは知らない。
やっぱり、氷上さんが皐月先輩なの? 私のそんな疑問は、きっと解決されないだろうな。
だって、私は氷上さんともう会わない方がいいと思ってる。
彼が皐月先輩と半ば確信してるからこそ、近づいてしまえばまた確実に好きになる。彼には将来を約束した最愛のひとがいるのに。
今は結婚指輪はしてなくても、近い将来必ず左手の薬指に指輪が輝くだろう。そんな人に恋してしまえば、また辛く苦しい日々を送ることになる。
10年前――あれだけつらかったのに。繰り返すつもりはない。
今度こそ、完全に忘れなきゃ。そして、私だけを好きになってくれる人を見つけるんだ。
真湖の言う通り。きっと、好きになれる人はいる。この世界に男性はこの人だけじゃない。もっと素敵な男性はたくさんいるんだから。
そう考えた私は、どうやって断ろうかということしか頭になかった。