恋蛍~君の見ている風景~【恋蛍 side story】
手に固い感触があった。


ユキナ・ヒイラギのショップ前で彼から奪い取ったフィルム。


「榎本さん」


あたしはポケットから手を抜き出して、フィルムを差し出した。


「これ、お返しします」


「何で?」


榎本さんが目を丸くしてフィルムを見つめる。


「だってこれ大切な物でしょ。撮って来たんでしょ、世界中心の風景」


はい、と彼の手にフィルムを置くと、榎本さんは「助かるよ」と微笑み、すぐにダウンジャケットのポケットに突っ込んだ。


「君の写真は絶対悪用しません。約束します」


「当然です」


「はい」


少しの沈黙のあと榎本さんが言った。


「初めてだったんだ。人物を撮ろうと思ったのは」


「え?」


見ると、榎本さんは窓から流れる街並みを見つめていた。


「写真を始めてから人物を撮ろうと思ったことは一度もなかった。でも、ショーウインドウを見つめる君を見つけた時、不意に。ああ、いや……とっさに。シャッターを切ってた」


「そうですか」


お酒のせいだろうか。


もうどうでも良くなってしまった。


勝手にシャッターを切られたことなんてどうでも良くなってしまった。


ただひとつ気がかりだったのは、その理由だった。

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