甘いささやきは社長室で
「……びっくりした、まさか噛まれるとはね」
唇ににじんだ血を指先で拭いながら、彼は私をまっすぐ見つめる。
「僕は、花音の気持ちに応えるつもりはないよ」
「……なにを言ってるんですか」
「相手の気持ちをわかってて、最低かもしれないけど、適当に結婚して会社のためになればいいと思ってた。……けど今は違う。僕には、マユちゃんしか見えてない」
目をそらして逃げたいのに、そらせずにいるのは、その思いが本物だと伝わってきてしまうから。
からかいや、その場しのぎなんかではない。熱い想いが、その瞳には映るから。
……だけど。
彼と彼女の持つ『結婚』には、大きな大きな意味がある。
それは、会社や経営を左右するほどの。
ましてや私は、ただの秘書。ただの会社員。
その手をとったところで、私がしてあげられることなんてないんだ。
……だからこそ、私がするべきことはひとつ。
花音さんに余計なことを言うことでもなく、この言葉に甘えることでもない。