甘いささやきは社長室で
そして、それから時刻は流れ……迎えた定時の18時。
山積みになっていた書類もすっかり片付いたデスクで、彼はぐったりと力尽きたように伏せていた。
「はー、終わったー……」
「はい、お疲れ様でした」
あれから桐生社長は約束をとりつけた途端ものすごい集中力を発揮し仕事を片付け……途中途中、電話や来客の対応に時間をさきながらもなんとかこうして終わらせることができた。
「ってことでマユちゃん、約束ね」
「……分かってます。支度してきますから、桐生社長も支度してください」
この男とふたりきりで食事なんて……なにがあるかわからなくて気乗りはしないけれど、約束をしてしまったのだから仕方がない。
ここで約束を破れば、きっと彼には二度とこの手は通用しなくなるだろうし。
そう帰り支度をするべく秘書室へ向かう私に、桐生社長は先ほどまでの疲労感たっぷりの顔が嘘のように、清々しい顔で鞄を手に取った。
それにしても、あの仕事量を本当に時間内に終わらせるなんて。手際もよかったし、逐一私に詳細を聞いていたくらいだから内容もきちんと把握しているのだろう。
やる気を出せばデスクワークもできる人なんだと思う。
……あれが自発的にしてくれればなによりなんだけど。
「はぁ」とため息をついてベージュ色のシンプルなコートを着た私は、黒いショルダーバッグを持って部屋を出た。
「じゃ、行こっか」
待ち受けていた桐生社長はライトグレーのスーツに茶色い革の鞄を持って、その場を歩き出す。