甘いささやきは社長室で



「はい、マユちゃんの家着いたよ」

「え?なんで私の家知って……」

「社長に知らないことはない、ってね」



意味深に言ってみせるけれど、ただ私の社員データを見ただけなのだと思う。けれどそこに触れることはなく、私は開けられたドアからゆっくりと降りた。



「……じゃあ、お先に失礼します」

「うん、ゆっくり休んでね。また明日」



そう言って閉められたドア。窓からひらひらと手を振る彼を乗せて、タクシーは住宅街をまっすぐに進んで行った。

ひとり、薄暗い住宅街に残された私は、ただその場に立ったまま。



「心までつながるなんて出来ない、か……」



ぽつりとつぶやくと、自分の小さな声は誰の耳に届くこともなく消えていく。



胸の奥に残るのは、期待することを諦めた乾いた笑い混じりの声と、寂しげな彼の笑顔。

それがなんだか無性に悲しくて、この心をきゅっと締め付けた。








< 75 / 215 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop