甘いささやきは社長室で
「はい、マユちゃんの家着いたよ」
「え?なんで私の家知って……」
「社長に知らないことはない、ってね」
意味深に言ってみせるけれど、ただ私の社員データを見ただけなのだと思う。けれどそこに触れることはなく、私は開けられたドアからゆっくりと降りた。
「……じゃあ、お先に失礼します」
「うん、ゆっくり休んでね。また明日」
そう言って閉められたドア。窓からひらひらと手を振る彼を乗せて、タクシーは住宅街をまっすぐに進んで行った。
ひとり、薄暗い住宅街に残された私は、ただその場に立ったまま。
「心までつながるなんて出来ない、か……」
ぽつりとつぶやくと、自分の小さな声は誰の耳に届くこともなく消えていく。
胸の奥に残るのは、期待することを諦めた乾いた笑い混じりの声と、寂しげな彼の笑顔。
それがなんだか無性に悲しくて、この心をきゅっと締め付けた。