それぞれの崩壊
ふらりふらりとした足取りで、どこへ向かうのか。

決まっている。

僕がずっとしまい込んでいた記憶。

あの一件以来サナトリウムに入れられた、母の記憶。

僕は懐から取り出した包丁を見つめて、また懐にしまった。

僕が他人の痛みを感じないようになる方法は、一つしか無い。

その幻想を作り出した張本人を消さない限り、僕は一生このおかしな病状に悩まされるだろう。

大丈夫。母の居場所は調べてある。サナトリウムを退院して、田舎でひっそりと暮らしているという。

バスに揺られながら、僕は新しい日々を想像していた。自分関係の無い「痛み」に悩まされる事の無い日々。

バスの乗客が、僕の方をジロジロと見てくる。きっと服に、さっきの間抜けなカウンセラーの返り血でも付いているんだろう。

でもそんな事は関係無い。僕は自由になる。たとえ刑務所に入れられても、今までよりも何倍も楽しい人生だ。


バスを降りる時に運転手が何か言ったが、全く聞こえなかった。すぐに発車したから、たいした事じゃなかったんだろう。

よたよたと田園地帯を歩きながら、僕は自分の目があの時の母と同じになっているのだと気付いた。

大丈夫。

まだ完成していないからだ。

包丁が残ってるから。

完成したら、完璧な人間になれるから。

待ってて、ママ。
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