不器用ハートにドクターのメス
メニューに向かって伸ばしていた手を戻し、聞く体勢に入った廉次。
「……す」
真由美は小さくくちびるを割り開き、一文字だけ、音を発した。
「す?」
「す……」
「……す?」
「す……」
しばらく“す”のやり取りが続いたあと、真由美は覚悟を決めたように、ぐっと眉に力を入れて言った。
「す……好きな人が、できた、みたいなの」
真由美が発した内容に、廉次は思わず、店に響く大ボリュームで「好きな人ぉ!?」と叫んでしまうところだった。
実際には、驚きすぎて、空気が漏れるような変な音が喉で鳴っただけだったのだが。
自分の妹に、これまで色恋沙汰が一つもなかったことを、廉次はよく知っていた。
全くなかった。これっぽっちもだ。
「友達ができたの」「よかったな」というやり取りなら、過去に交わしたことがある。
しかし、好きな人ができた、というのはあまりにも予想外すぎて、でもそうだよな、真由美ももう社会人なんだもんな……と、廉次は混乱しながらも、自分に言い聞かせる。
態勢を立て直すため、こほん、と軽く咳払いをして席に座り直すと、廉次は真由美に問いかけた。
「えっと……マジか。その……あー……どんな人?」
「あ……あの、ね。ドクターなの。同じ病院の……」
「ドクター……」
ここに、荒ぶる心を抑えつつ尋ねる兄と、目線をあちらこちらにさまよわせながら答える妹、という図ができあがる。