不器用ハートにドクターのメス

執刀医は胸を痛める

◆ ◆ ◆


病院の定時は、おおよそ一般企業よりも早い。

午後4時半。開始が午前8時なので、計算上そうなるのだ。

けれど、神崎含め心臓外科医が定時きっかりに上がれることは、まずあり得ない。

緊急が入ったときにはもちろんのこと、通常でも、オペ後に書類業務や病棟への連絡、その他もろもろをしていると、あっという間に時計の針は、歩みを進めている。

休日、非番の時ですら呼び出されることもあるのだから、生活リズムなどあってないようなものだ。

そういうわけで、とっくに定時を回った午後7時。


「神崎先生」


神崎が廊下を歩いていると、後ろから野太い声に呼び止められた。

振り返ってそこにいた人物に、神崎は思わず顔をしかめそうになる。

神崎を呼び止めたのは、看護師長の野田朝子だった。

たくましい眉にたくましい肩幅、たくましい二の腕。どこをどう切り抜いても雄々しい彼女を、神崎はボス猿と呼ぶにふさわしいと考えている。

そんなボス猿こと野田師長に呼び止められた時は、ろくなことがあった試しないと、神崎は経験から理解していた。

なぜなら、彼女が発することのたいていが、苦情か愚痴だからだ。

こちらがどんなに忙しそうにしていようともどこ吹く風、自分の話をぶつけてくる図太さを持っている。

かなり急いているときに声をかけられ、なかなか逃がしてもらえず、病棟のデータ入力が遅れて事務員に書き換えの交渉をしにいく羽目になった……という出来事は、まだ記憶に新しかった。

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