いつか孵る場所
「でも先生。
楽しくない顔をされていますね」

微笑む河内に不服そうな表情をして

「楽しくないです。
特にナースステーションから出る噂話は」

皮肉たっぷりに言った。
河内はそう悪くはないけれど、他の若い看護師だろうと思う。
いい加減な話を振りまくな~!!と透は内心、思っている。

「それだけ注目されているってことですよ。
透先生がなんでも一生懸命だからついつい、皆、度が行き過ぎるのだと思いますけどね」

河内は続ける。

「透先生がここに来た理由を知っている人間は皆、透先生の味方だと思いますよ。
最初に来たときはどこか冷めていて、無理やり戻された感があって。
病院の人間と接するときも淡々としていて赤い血なんて流れていないんじゃないかって言われていたのに。
でも、病気の子供やその親に接するときに、出ているんですよね。人柄が。
多重人格か?っていうくらい、子供と接するときは優しくて幸せそうで…」

「それは」

透は河内の言葉を遮った。

「高校の時、出来なかったことを今、してるんですよ」

「?」

河内以外の看護師も手を止めて真剣な眼差しで透を見つめた。

- あまり人には言いたくないけどな… -

透も手を止めて看護師の方に向いた。

「僕、高校の時に初めて人を好きになって。
それが今、ここの601に入院している彼女です。
彼女の両親は離婚していて、母親が彼女とその妹とを必死になって育てていました。
付き合うようになって、幼い妹と3人でよく遊んでいました。
医学部を目指している者が高校3年でそんなことをしているなんて普通はあり得ないと思うのですが、僕はそれで心のバランスを取っていました。
適度に体を動かして心の底から笑って…そういう楽しいことが一つもない家だったので本当に楽しくて。
そうやって遊ぶと勉強の方も上手くいったし。
睡眠なんか少なくても疲れてないし、いくらでも覚えられるのです。
でも…それが…僕の母にバレて、彼女に酷いことを言って引き裂かれた。
だから僕は大学進学の時に親元を離れました。
何もかも嫌になって」

透はここまで話をして後悔した。
河内が涙目になっている。
彼女は色々と至から真実を聞いているのだろうと思う。
別に言わなくても良かったかなあって。

「それからは?どうして先生は家の事が嫌いなのに、医師を目指したのですか?」

若い看護師が興味津々で疑問を投げかける。

「その妹がある日、酷い風邪をひいて肺炎を起こしてしまって、彼女が病院へ連れて行ったけど休診で。
たまたま僕が通りかかって、研修医をしていた兄に連絡をしたんだ。
兄は見ての通り、呼吸器専門の内科医。
小児科医じゃないけれど一旦診てくれて、小児科医にもコンタクトを取ってくれてすぐに入院の手続きをしてくれた。
しかも彼女の母は仕事で忙しいし、来れないし、保証人にもなってもらえる人がいない。当てもない。
見兼ねた兄は自分の名前を保証人の欄に書いたんだ。ありえないでしょ?
…僕も本当に困っている人を助けられるそういう医師になりたいなあって思って、高2の終わりに医学部受験を念頭に置いたんだ。
それまでは漫画家にでもなろうかなって思っていたくらい、大学受験もあまり考えていなかった」

ここまで話をして一旦透は話すことを止めた。
急に恥ずかしくなってきたのもあるけれど

「…こんな話、正直面白いですか?」

自分があまりにくだらないことを言っているんじゃないかと思いはじめたのだ。

「面白いですよ!だって他の先生は聞いてなくてもペラペラ話す人が結構いるし。
そういう人は自慢話ばっかりですし。
こういうお話が聞ける私たちはラッキーかも!」

その瞬間、ナースコールが鳴った。

「行ってきます。また後で、聞かせてくださいね」

その若い看護師が河内に言うと病室に向かった。

「至先生にはその事は?」

河内が聞くと透は首を横に振った。

「言えないです。
兄さんが死ぬか僕が死ぬ前に言います」

しばらくしてクスクスと周りが笑い出す。

「死ぬ前にそんなこと、言えませんよ」

河内が人差し指をチッチッと振った。

「至先生、きっと喜びますよ。
でも、先生。至先生に憧れたなら何故、内科医を選ばなかったんですか?」

「それは…話は戻りますけどきっかけは彼女の妹です。
その子は本当に笑顔が可愛い女の子で、無邪気に遊ぶ姿が目に焼き付いて離れない。
もっと一緒に遊びたかったけど、母のせいで遊べなくなって未だに悔いが残っています。
それがきっかけ。
彼女の妹だけじゃなく子供には元気でいて欲しいし、病気で苦しんでいる姿を見るのは本当に辛い。
でもそれが僕の治療で良くなって、少しでも笑顔を見せてくれたら本当に嬉しい。
ただ、それだけの理由です、僕が小児科医をしているのは」
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